望遠鏡を担いでいたころ
●自家用車が無い時分、リュックに望遠鏡一式をつめこみシュラフをくくりつけてよく山に出かけたものだ。赤道儀にはバランスウェイトが付属していたから総重量10キロ近い重さがあった。若さにものを言わせての観測だった。まさに僧の修行と同じだった。 長野県の霧が峰高原に親戚の家族と一緒に出かけたときのこと。観測だけであれば歩く距離も最低限に考えて行動するのだが、このときは高原のトレッキングも含まれていた。常に10キロ近いの荷物を背負っての山登りは、強力(ごうりき)が大荷物をかついでゆっくりと歩く姿に似ていた。まわりをゆっくりと見る余裕はなく俯いて歩くだけであった。当時、植物採集もまだやっていたからさらに荷物が増えていた。肩にリュックの帯が食い込む。宿泊地である車山のキャンプ場に着く。夕方から霧が出始め、夜になってもあたりは霧で覆われていて星が見えない。天体観測どころではない。テントにもぐりこむ。昼間の疲れでそのまま朝までぐっすり寝込んでしまった。若いというのはすごい。昨日の疲れは残っていない。この日は八島ヶ原湿原まで同じ荷物を担いで、4、5時間のトレッキングが再開される。高層湿原にはモウセンゴケ、ヒョウギアヤメ、フウロソウ、ニッコウキスゲなどが咲き乱れていた。重い荷物を背負って来たものの観測ができなかった虚しさだけが残る。高原には涼しい風が何事もなかったように吹き抜けていた。 会社の仲間と相模湖方面に観測に行ったときのこと。このときには車と運転手付きであったので重たい荷物を担ぐ必要がなかった。15時ころに会社を発って目的地に向かう。天体観測は仕事の一部と見なされていたので昼間から準備をすることが許されていた。現地では観測に適していそうな場所を探しながら車をゆっくりと走らせる。畑の農道に車を止めて観測準備に入る。冬場の一番寒い2月のことだった。防寒服をいっぱい着込み観測に備える。カイロも用意する。赤道儀をセッティングし、カメラを装着して撮影開始。手袋はしているものの、しだいに指先の感覚が無くなってくる。オリオンの三ツ星が輝き、それを取り囲む冬の星々が冷たい光を放っていた。撮影が一段落した後、宿泊の準備を始める。テントを持ってくることははじめから考えていなかった。東京に近いこともあり、寒さを甘くみていた。農道にシートを敷いてその上にシュラフを広げる。ここがきょうの寝床だ。シュラフにもぐりこんで眠ろうと思うが、足先や手の指先には感覚がない。カイロを当てて暖めるがほとんど効果はない。凍死するのではないかと思うくらい寒さに震えながら眠れずに一晩を明かす。手足は凍傷寸前の状態だった。あたりが白み始めたころ、感覚の無くなっている指でシュラフのチャックを何とか開けて顔を出す。あたりは真っ白になっている。シュラフを見ると布の柔らかさは無く、白く硬くなっている。霜が降りていたのだ。寒いわけだ。何とか生き延びて良かった!とこの時ばかりはマジに思った。 また違う時の話。今度は夏。知人から信州の別荘を借りて、天体観測をすることにした。最寄りの駅からバスを乗り継ぎ、機材を担いで運んだ。結構広い別荘だったので、ここは快適な観測ができると喜んだ。夜になると、玄関前の道に撮影機材をセットして観測を開始する。ここは蛾と蚊がやたらと多い。虫除けスプレーを腕や首周りにかけて対応する。蛾は寄り付かなかったものの、蚊は一向に去る気配がない。スプレーをかけた皮膚の上から容赦なく刺してくる。手で追い払う以外方法はなかった。蚊と格闘しながら必死で夏の天の川付近の写真を撮った。そのころ天体写真専用の103aEというモノクロフィルムとR60やR64という赤フィルターの組み合わせで撮るが流行だった。缶に納まった長尺のフィルムを暗箱の中でパトローネに巻き取っては写したものだった。もっと後になると水素増感をしたテクニカルパン2415(TP2415)というフィルムが流行るようになる。撮影が終わり建物に戻って腕を見ると数え切れないほど刺されている。それも腫れあがっている。蚊に刺されることによって虫除けスプレーの薬が注射されたのと同じ状態になったのだろう。蚊を追い払う代わりに防虫剤が人間を襲ったのだ。自宅に戻ってからも一週間くらいその腫れは引かず、風疹のときの赤い腫れ物のようだった。山の蚊は人間と接したことが少ないために危険から逃げるという本能がなかったのだろうか。 陣場山にコホーテク彗星を観測に行った時のこと。機材一式を車に詰め込み、夕方の彗星を見に行くことにした。駐車場に車を止めて最後の登りを望遠鏡とカメラを担いで運び上げた。南には中央高速が走っている。車の列が下に見える。山とは言っても八王子に近いため東空の条件はいいとは言えない。西空は上野原が近いが八王子よりは空が暗い。太陽が沈み夕焼けが収まり暗くなり始めたころ、細い尾をまっすぐに上に伸ばしたコホーテク彗星がその雄姿を現した。撮影するつもりで運び上げた赤道儀を組み上げたが、ウエイトが見当たらない。うっかり忘れてきてしまったのだ。ガイド撮影は諦め、仕方なく静止撮影で記録をとることで満足するしかなかった。そのときの写真が右の写真だ。この写真を見るたびに、この苦い経験を思い出す。観測に出かけるときは忘れ物がないか厳しくチェックすることが大切だ。今でも厳しいチェックを潜り抜けて小さな電池を忘れたりすることもあるが・・・。 |
記:2006/7/3 |