道元禅師



 只管打坐(しかんたざ:悟りを求めたり想念を働かすことなく、ひたすら座禅すること)を第一の修行として打ち出した曹洞宗。道元禅師の一生を右門という付き添い人を通して描いた立松和平の「道元禅師」(東京書籍、上下2巻)をやっと読み終えた。1ヶ月くらいかかったろうか。なかなか読み応えのあるボリューム(原稿総分量2100枚)で、9年以上の歳月をかけて書き上げたという。
 鎌倉時代、道元以前、栄西が臨済宗を開き禅宗の基礎を築いた。道元も栄西の下で修行に励んだが、自分で納得のいくところまで到達することができず、宋への旅を決意する。広大な中国を師を求めての旅であった。しかし、宋でひろく行き渡っていた禅は道元の求めていたものとは違っていた。そして、天童寺で、如浄和尚に出会い念願の師に出会うことになる。そこで修行を続け、さとりを開き正法を会得するまでになる。帰国後、安嘉門院邦子内親王らの援助を得て京都深草に興聖寺を建立するも、比叡天台の僧の反駁を買い、越前へ移らざるをえなくなる。そして越前志比庄に永平寺を開くことになる。道元は「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)を著し、その教えを後世に残す。
 立松和平は正法眼蔵の内容を至るところに散りばめた。右門を通して、あるいは道元の心を通してその思想を伝えようとしているが、内容は非常に難しい。はじめ、読み難くなかなか読み進めることができなかったが半ばにきてゆっくりではあるが、しだいにのみこめるようになってきた。立松和平はあるときは右門になり、またあるときは道元自身となって法を説く。その手法にもしだいに慣れ、遅々としてではあるが、読みきることができた。立松和平はあとがきで道元禅師についてこう語っている。
「道元禅師のイメージを語るなら、月である。『正法眼蔵』には豊かな月のイメージがあふれている。『現成公按』には、人がさとりを得るということは、水に月が宿るようなものであると説かれている。月は濡れず、水は破れない。月は大きな光なのだが、小さな水にも宿り、月の全体も宇宙全体も草の一滴の露にも宿る。一滴は月全体や全宇宙を呑んでも、なお余りある。この一滴とは、私たちのことである。人間存在をここまで根源的に強く認識することが、道元思想の根幹であり、私はそのことに魅入られた。・・・月光は太陽光と違って人に意識されることも少ないのではあるが、柔和に包まれたその光の中から誰も逃れることはできない。仏法もそのようである。心理の形をこれほど美しく見事に語った言葉を、私は他に知らない。人が意識しようとしまいと、月という心理に照らされ、なにもかもが隠しようもなく露わになっている。」
道元は満53歳の短い生涯を全うする。立松和平はこの書で第35回泉鏡花文学賞を受賞した。
なぜ、今、禅なのか? 映画「禅」も人気があるという。全世界的大不況の世の中にあって、人は心の糧を求めているのかもしれない。
 記:2009/2/11