生命とは?



新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。なぜ合成と分解を同時に行なっているのか? この問いはある意味で愚問である。なぜなら、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。合成と分解の平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するように自分自身の状態を調整することができる。これはまさに「生きている」ということと同義語である。

 分子生物学者の福岡伸一(1959年生まれ)は「動的平衡」(木楽舎刊)の中でこのように述べている。病気などを引き起こすと思われるDNAの一部を書き換えてそれを元に戻す。あるいは受精卵の細胞分裂による機能分化が始まる前に時間を止めて特殊な細胞に細工を施して元に戻す。最近よく耳にするES細胞である。これは果たして生命にとって朗報であるのかどうか。自然に逆らっての行為が生命に与える影響はどうなのか?福岡伸一は警告を発している。コラーゲン添加食品などがいかに無効な食品であるのか?人がこれを食すると腸まで達する。人間の体はタンパク質をそのままの形で吸収することはできないという。必ずタンパク質を形作っている種々のアミノ酸に分解され、はじめて腸に吸収される。コラーゲンはコラーゲンとして吸収されることはなく、コラーゲンであったことを忘れたアミノ酸に分解されて吸収される。本人はコラーゲンをとっているものと思っているが単にアミノ酸をとっているに過ぎない。さらに体にとって取り過ぎのアミノ酸であれば吸収もされずに排泄される。健康食品といわれるものはこれと大同小異。体のしくみを良く知った上で食を考える必要がありそうだ。むしろ通常の食事に眼を向けることの方が重要ということになる。食道、胃腸、肛門までこれは体の中ではなくてまだ体の外であるということを認識する必要がある。ちょうどちくわと同じだと福岡は言う。胃腸で消化された段階ではまだ、それは体の外にある。膵臓で作られた消火液によって食物が分解され腸で吸収されてはじめて体の中に入ることになる。この膵臓や胃腸の働きをよく心得ておくべきだろう。

環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自身も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように「動的な平衡」という素敵な名前をつけた。ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。
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【福岡伸一の著書】
「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書
「プリオン説はほんとうか?」講談社ブルーバックッス
「もう牛を食べても安心か」文春新書
「ロハスの思考」木楽舎ソトコト新書
記:2009/11/27