エミリー ・ ウングワレー



エミリー・カーメ・ウングワレー(1910頃−1996)は、オーストラリア先住民であるアボリジニのひとりで、80歳近い年から絵を描き始め、亡くなる前の8年あまりの間に3000点以上の作品を制作した。大雑把に見積もっても一日一作品を制作していた計算になる。その精力的な活動はどこから生まれてきたのだろうか。バティック(ろうけつ染め)、アクリル画の数々が国立新美術館に展示されているのを知り出かけてきた。 画面全体を覆う点描や線のパターンは衝撃的だ。それぞれの作品は大きくて数mに及ぶものがほとんど。エミリーは長年、儀礼の際のボディ・ペインティングや砂絵を描いてきたが、バティックやアクリル画へと発展していった。彼女の絵を描くという行為はアボリジニの儀式の延長だった。それが死の直前まで描かせる衝動を与えたのだと思う。
 美術館の広さと高さのある白い壁は間接照明でやわらかい雰囲気を作り出している。これらの壁にこれらの絵はうまく溶け込んでいて、癒しの空間を作っていた。展示室の中央に置かれた木のベンチに腰掛けてこれらの絵を見ていると、時間の経つのも忘れてしまう。

 1986年の春、オーストラリア西海岸のパースにハレー彗星を追いかけて南半球まで出かけたときのこと。パースには博物館があった。ちょうどそのとき特別展としてアボリジニ美術展が開かれていた。アボリジニという発音しにくい先住民のことを知ったのは、このときがはじめてだったと思う。たまたまそこにいたオーストラリアの人に話を聞くことができた。それは美術の話ではなくてアボリジニの生活についてだった。若いアボリジニは先祖の土地を捨て、都会にやってきたがありつける仕事は給料の安い下働きしかないという。しかしそういう彼らの中にも絵を志すものは多いという。生まれ持った血がその衝動を止めることができなかったのかもしれない。原色を使った鮮やかな絵がハレーとは別のインパクトを心の片隅に残したのは確かだった。その記憶があったためだろう、今回の展示会には初めから惹かれていた。これらアボリジニの絵をプリミティブアートから現代美術への発展と捉える向きもあるが、彼らにとってはそんな分類とは関係なく自ら発する知情の世界を今も変らず持ち続けて描いているのに違いないと思うのだ。

 136.5cm×302cm(1991年)
 記:2008/7/8