フェルマーの最終定理
●フランスのアマチュア数学者であったフェルマーの名を後世まで残したのは、ギリシャの数学者ディオファントスの著作「算術」の欄外余白に書き込んだメモ書きだった。書き込みには詳しい証明はされていなかったが、それを証明した旨が記されていた。後の数学者はそれをひとつひとつ再確認するために証明していったが、最後にひとつだけ解けない問題が残った。それは次のようなものだった。
n=1のときはこの式を満たす自然数は無限に存在する。例えば 3+8=11。 n=2のときは、有名なピタゴラスの定理(三平方の定理)である。「直角三角形の底辺の二乗と高さの二乗を足したものは斜辺の二乗に等しい」というあの式である。例えば(3、4、5)の組み合わせはこの式を満たす。 ところがフェルマーはn=3以上のときはこの式を満たす自然数(X,Y,Z)の組み合わせは存在しないと言っている。彼はこれを証明したがそれを書くスペースがないとメモ書きしていた。問題自体は非常に簡単であるが、この問題は3世紀の間多くの数学者が挑戦したが証明することができなかった。この定理は最後まで残された問題という意味で「フェルマーの最終定理」と名づけられた。 この証明を成し遂げたのはイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズ(Andrew John Wiles 1953年4月11日生)だった。彼は10歳のときにこの問題を解説した本を眼にしてからその虜になっていた。数学者になってからもこの問題は頭から離れなかった。そして1995年にフェルマーの問題提議から350年の時を経てやっとその解決をみたのである。人間の特に数学者の驚くべき執念と努力の跡をこの中に垣間見ることができる。 フェルマーの定理を証明したワイルズの論文は次の2つから成り立っているが、これを理解できる数学者は世界でもわずかであると言われている。多くの数学分野の知識を必要としているからだ。 「モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理」(アンドリュー・ワイルズ著) 「ある種のヘッケ環の理論的性質」(リチャード・テイラー、アンドリュー・ワイルズ共著) ワイルズがはじめて公表(1993年6月23日)した後、証明が正しいかどうかを選ばれた6人のレフェリーによって調べられた。その結果、証明の不備が見つかり、ワイルズはその修復に時間がかかった。最終的には1番目の論文の不備を直し、2番目の論文で問題になった部分を補強説明している(1955年5月)。 |
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数学は極度に厳密性が要求される学問だ。ひとつでも証明されていないものが含まれていればそれは定理としては成り立たない。証明されない理論の飛び越しは認められないのだ。逆に定理として認められればそれは最強の武器になる。新しい問題が起こったときにその定理は無条件に使えるからだ。 この物語はサイモン・シンの著作「フェルマーの最終定理」(新潮社)に詳しく語られている。フェルマーの定理の解決に日本人の「谷山・志村予想」(谷山豊と志村五郎、1955年)や岩澤理論(岩澤健吉)などが大きな役割を果たしたことは銘記しておいてもいいだろう。 物理の分野で「フェルマーの原理」というのがある。「光は時間が最小になる経路を通る」という原理で、これを使うと屈折の法則(スネルの法則)などを導くことができる。フェルマーが発見したものである。フェルマーはアマチュア数学者ということになっているが、当時は純粋な数学で飯を食っていくことはできなかったらしい。そのためフェルマーは弁護士という職業で生計を立てていた。 |
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(Pierre de Fermat 1607−1665) | 記:2006/7/31 |