今日という一日


すでに40回目になる一日が始まる。朝7時20分過ぎに決まって家を出る。今朝はしとしと雨が降っている。車の前方をぼんやり眺めながら大分前の出来事を思い出していた。高知から松山に帰る山越えのときに、いきなり前方が見えなくなるほど激しい雨に見舞われた。ワイパーを入れたが固定されない。手を離すと戻ってしまう。こんなことってあるのか。仕方なくワイパーハンドルを押さえながらハンドルを握った。まったく神経全開の経験だった。それに比べ今朝の雨は眠たげな雨である。ワイパーは忘れたように一拭きする。
 自宅から40分くらいで病院に着く。埼玉医科大学病院が毛呂から日高に心臓病や癌などの高度治療を必要とする科を移動させたのだ。月2回のペースで同じを道を行く。毛呂病院を過ぎる辺りから朝の渋滞に巻き込まれる。右側のスーパーはまだ開いていない。そういえばこの先の細い路地を入るとポピー畑があると教えてくれた人がいたっけ。しかし今日はちょっとそれを見る時間がなさそうだ。実篤の新しき村美術館を左に見ながら少し進むと真新しい建物が眼に入ってくる。埼玉医大国際医療センターだ。今通っている病院である。こちらに通い出して今日で3回目になる。毛呂と違って駐車場がやけに広い。それも無料ときている。玄関前の庭には彫刻や池を配し、すべてがゆったりとしている。まるでどこかの美術館と勘違いする。
 玄関を入ると、目の前に三階まで吹き抜けの広いエントランス空間がある。前方に巨大な人物像の絵が2枚飾られている。キリスト教的な題材の男女二人の二階まで届く巨大な絵である。その前でピアノが無人で曲を奏でている。安らぎを与えるための演出には違いが無いが何かしっくりとこないのはなぜだろうか。
 エレベーターで二階の治療室に向かう。ここは4つの建物が中央で結ばれているような構造をしている。各棟が色分けされていて進むべき治療室がわかるようになっている。廊下が必要以上に広く病院特有の圧迫感は無いのだが、温かみと言おうか何かが自分の中で抵抗している。そのわけに、はたと気がついた。建物は直線と平面で構成されていて曲線と曲面がほとんど見出せない。生き物の中にはまったき直線や平面は無い。なにかしらの曲がりがある。そんな曲面からできた生き物がまったき平面をたやすく受け入れないのだろう。
 今日はCT検査に始まり、抗癌剤点滴治療があるため、長い一日になりそうである。治療室の中には20台ほどのリクライニングシートが用意されていて、おまけに各台にテレビが備え付けられている。音も自分だけに聞えるような配慮がなされている。すごい投資をしたもんだと感心してしまう。テレビ゙には2011年にはアナログ放送が終わりになりますのステッカーが貼ってある。ということはこのテレビも2011年までの運命ということか。リクライニングに寝転びながらの治療は、非常に楽である。3時間あまりの間、暇にまかせて読書をしたり、まどろんだりする。
 リラックスしているときに辺見庸の本を読んだ。こんなときに読む本かと聞かれれば、こんなときだからこそゆっくりと思考すべきだと思うのだ。大手のジャーナリズムから引き下がってフリーで物を言っている。あるときはブッシュに、あるときは小泉前首相に世間への衒いも無く物を言う。今時こんな人は数えるほどになってしまった。辺見は死刑制度に反対である。死刑というのは国家が公然と行なう殺人に他ならないという。死刑を言い渡された人がどんな人物であろうと、人が人を死に追いやることは絶対にあってはならないことだと力説する。ぼくも彼の意見に賛成である。新聞報道がほとんどされない秘密裏の執行が日常的に行なわれている。公表はしないが聞かれれば公開するという姿勢そのものに怖さを感じる。ジャーナリズムも日常の殺人事件には大々的に報道しながら死刑執行にはほとんど触れない。触れた時でさえ、死刑執行は当然だというような論調で報道する。視聴者もそれに慣れっこになっている。これは国の思うつぼである。事に無関心であればあるほど、秘密裏に事を進めることができるからだ。「周辺事態」「憲法改正」しかり。すべて議論がつくされた後に出てくる結論では無い。知らず知らずのうちに事が進み、気がついたときには事が成就している。こんな怖いことはないと思う。
 リクライニングシートに横になりながらこんなことを考えていた。治療が終わる15時過ぎには日が射して来た。夜晴れれば星の観測をしよう。これも今日という一日である。
記:2007/5/17