現像をしていたころ



モノクロフィルムが全盛のころ、カメラマン気取りで風景や人物写真を撮っては行きつけの写真屋さんに持っていき現像をしてもらっていた。そのうちに自分で現像をやってみたくなった。というのも、写真屋さんは自分の思う通りに焼き付けてくれないことが多かったからだ。平均的な現像処理ではあったが白が飛んでいたり、焼き過ぎてつぶれていたりして気にいらなかったものも多かった。そこで写真現像に関する本を買ってきて現像の仕方を勉強した。意外と簡単そうだったのでフィルム現像に必要な器具と焼付けに必要な引き伸ばし機と印画紙現像用具を一式揃えた。全部で2〜3万円くらいしたと思う。初めのうちいろいろ失敗があった。フィルムは一本のフィルムを現像できる現像用タンクを使った。フィルムをプラスチックベルトと一緒に中枠に巻き込んでいくときの硬さが微妙だった。外光が入らないようにできている暗箱の中に手をつっこんでの作業だったので、手の感覚しか当てにできない。それもフィルムに指紋などを付けないようにするために薄い白手袋をしていたため尚更である。少し硬く巻きつけてしまって現像をしてみると、フィルムとプラスチックベルトが接触して現像液がまわらずにそこだけ現像不良を起こしていた。微妙な感覚もしだいにわかってきた。失敗の回数も減ってきた。

 天体写真の現像を始めたときには大分手際もよくなっていた。苦労するのは現像液の種類とその温度管理であった。温度は普通20℃で何分とか指定されていたので、数度違っている時には現像時間を調整する必要があった。液温度が高いときに同じ時間で現像をしてしまうとフィルムが濃くなり過ぎてしまう。そうすると焼付けのときに白く飛んだ写真になってしまってまずい。これも経験で判断していった。現像液についていえば、D76という処方が一般的だった。写真現像の本に出ている処方に従って、薬品を調合する。それぞれの薬品の量は微妙だったので、昔、薬局や理科実験室で使っていたような片方に小さな分銅をピンセットで載せて測る天秤秤を使った。天体写真は元々コントラストが悪く、当時フィルムの感度もよくなかったので増感現像という処理を行なっていた。パンドールがよく使っていた調合済みに現像液だった。指定通りの時間で通常の現像もできたが、現像時間を延ばすと、感度が上がり淡いものを浮かび上がらせてくれた。ただ、増感のデメリットとしてフィルムの粒子が粗くなってしまう。焼き付けたときザラザラした写真になってしまう。そのため、適度な時間の設定が大事だった。せいぜい2〜3倍の増感現像を行なっていた。
はくちょう座現像自体は明るい部屋の中でできる。現像、停止、定着、水洗いという工程を経て処理が終了する。あとは乾燥のときに水滴ムラが残らないように水滴防止液につけて、長いままのフィルムを吊り下げて乾燥させる。
天体写真専用の103aEというフィルムの現像はまた違っていた。現像液はD19という硬調に仕上げる処方を使った。これも自分で調合した。現像は通常の方法で進行していくのだが最後の水洗いと乾燥のときに注意を要した。この操作中には絶対にフィルムの撮影面に手を触れてはいけない。現像面が剥がれ易かったのだ。うっかりさわってしまって、苦労して写した写真をオジャンにしたこともあった。そのときの悔しさといったらない。誰に当たることもできず呆然となってしまった。
それでも103aEの威力はすごかった。眼では見えなかった天の川が白い帯となってはっきりと写っていたからだ。他のフィルムでは決してまねのできないことだった。

 フィルム現像はまだ前段階である。この後、印画紙に焼き付けるという操作が待っている。焼付けは暗い部屋の中で行なわねばならない。印画紙に感光しないような薄暗い電球の元で現像を行なった。もちろん専用暗室などない。そのため部屋を暗くして臨時の暗室としなければならなかった。よく使ったのが風呂場と押入れだった。押入れは戸を閉めるだけで真っ暗となったので手軽だったが狭いのが欠点だった。そこで風呂場をよく利用した。
現像液などをうっかりこぼしてもすぐに洗い流せるというメリットもあったからだ。しかし夏場の暑いときは冷房もない時代だったからシャツ一枚になっての汗だくだくの作業だった。
焼付けは引き伸ばし機でフィルム像を拡大して印画紙に露光することで行なうが、印画紙選びもノウハウのひとつだった。天体写真ではコントラストを上げるために4号とか5号という硬調に仕上がる印画紙をよく使った。この印画紙は現像時間が少し長くかかる。天体写真にとってはこれはメリットになる。背景の暗さの調整を微妙に行なうことができたからだ。2号とか3号の印画紙だと写真像が現像液の中で浮かび上がってくるのが速くて、現像を停止するタイミングに苦労する。数秒の違いで黒くなり過ぎたりした。町の写真屋さんに頼むとこんな写真の仕上がりが多かったのだ。写真屋さんには夜は暗いものという常識(?)が働いていたのかもしれない。暗い星々が背景に埋もれてしまっていた。自分で現像を始めるきっかけもこんなところにあった。天体写真は自分でやるものというのが天体仲間の常識になっていた時代でもあった。
 いま、フィルムも使わなくなった。フィルムを自家現像することはなくなった。デジカメがとって変わった。撮影後の後処理も楽だ。あのころの苦労は何だったのだろうか。時々、暗室の中でしだいに浮かび上がってくる像を見ながらわくわくしていた時を思い出す。あれは不便ではあったが自分ですべてをしているという満足感があった。デジカメは一種のお任せである。だから銀塩にこだわる天文ファンもいまだにいるのだろう。たまには銀塩写真を撮ってみるかな!
記:2006/7/6