ハレー彗星接近のころ
|
||||||
●約76年周期で知られるハレー彗星(1P/Halley)が1986年(昭和61年)春に地球に最接近した。世の中、ハレーブームで観測会を開くと多くの人が集まった。僕は前年から観測を始めていたが、通常の彗星と同様に太陽から離れているときには中心核と周りを取り囲むコマが見えているだけで尾はまだ伸びていなかった。10月30日に長男が生まれた。年末から正月(右写真)にかけて、尾が明らかに伸び始めて彗星らしい姿を呈してきた。ハレー彗星ほど天文ファン以外でも知られている彗星はないだろう。最接近のころ、日本からは彗星が南下していたので、観測には適していなかった。そこで多くの天文ファンは南半球に観測の場を求めて旅立った。僕も例外ではない。4月初めにシンガポール経由でオーストラリアの西海岸にあるパース(Perth)に出かけていった。ハレーツアーを当て込んで多くの旅行会社がケアンズやエアーズロックなどに宿を押さえていた。パースは風光明媚な美しい町としてその名が知られている。中でも市の中心にあるキングス・パークからスワン河沿いの街並みが美しい。 彗星の観測場所としては、町から離れる必要があったため、100キロほど内地に入り込んだ牧草地が選ばれた。現地に向かう道路沿いには「カンガルーの飛び出し注意」の立て札が立てられていた。牧場主と旅行会社との契約でその場所が提供されたのであるが、地平線まで360度見渡せる最高の場所だった。観測地まではチャーターされたバスで向かった。僕が持ち込んだのは赤道儀式望遠鏡一式とカメラなどであったが総重量は20キロ近かった。観測地では暗くなる前に牧場主が用意してくれた食事をとり、観測準備にとりかかった。夜食まで用意してくれていたのにはうれしかった。各自適当な場所に陣取って暗くなるのを待つ。南の星空を見るのは初めてだったので星座もわからないものが多い。一番苦労したのが、赤道儀のセッティングに使える北極星が見えないことだった。南半球からは北極星は地平線下である。そこで北極星に代わる南極の星を手がかりに極軸のセッティングを行なった。もうひとつ感覚が狂ってしまったが星の動きである。南の極に向かって星を見ていると星は北極とは逆向きに回転しているのだ。これは当たり前のことであるが、星の日周運動の中心が南極であることをうっかり忘れてしまうからだ。これに慣れるまで少し時間がかかった。 暗くなってきて一番最初に眼に飛び込んできたのが、大きな雲のように見える天体だった。大マゼラン雲(左写真)と呼ばれるわれわれの銀河系のお隣にある銀河である。北半球ではアンドロメダ星雲が銀河の定番として知られているが、これを良く見るためには双眼鏡が必要だ。しかしマゼラン雲は違っていた。肉眼ですでに大きな雲が浮かんでいるように見える。これには感激した。ハレー彗星がもし見えなくてもこれだけでオーストラリアまで来たことに満足しただろう。南十字も高く昇っている。ハレー彗星(右写真)が昇ってくると、撮影にかかったがマゼランほどの感動がわかない。想像していたほど尾が伸びていなかったのと、さそり座の天の川の中に入り込んでいたので尾が見えにくかったことに原因がある。 |
||||||
|
||||||
オーストラリアへの旅行は観光付きツアーなので、パース天文台や、巨大隕石・隕鉄やアボリジニの作品などが展示されている西オーストラリア博物館を見学したり、パース動物園ではコアラを抱いたりした。 空港の土産物屋にはブーメランや逆さ世界地図(upside_down_map)が売られている。逆さ地図は南が上になるように描かれているので、少し奇異な感じがするものの慣れてしまえば当たり前の地図である。どこの国でもそうだが自分の国が真ん中に来るように描かれている。 知人である金沢市平和町児童館の館長を勤められていた川島 武さん(故人)は、ハレー彗星の観測に、オーストラリア東海岸を選んでいた。そのとき撮影されたハレーの姿はだいぶ変わっていた(左写真)。青いイオンテイルは右斜め方向にまっすぐに伸びているが、ダストテイルはイオンテイルのあたりから左上方にかけて扇型に広がっている。天の川から離れていたので尾の形状が良く分かる。僕が写したときには天の川の中だったのでこの広がりが分からなかったのかもしれない。ハレー彗星は4月11日に地球に最接近する。奇しくもこの日は僕の誕生日でもあった。
|
||||||
【 エドモンド・ハレー 】(Edmund Halley 1656-1742) イギリスの天文学者。ハレーは過去に出現した3つの彗星(1531年、1607年、1682年)が約76年周期の同一彗星であることに気づき、1757年に出現すると予言した。惑星引力の影響を受けて彗星の軌道が変化するため、回帰の周期は数年の幅で変動する。発見されたのは1758年クリスマスのことだった。すでにハレーはこの世にいなかったが、彼の功績をたたえてハレー彗星と名づけられた。次の回帰は2061年の夏になる。 |
||||||
記:2006/7/5 |