遥かなる宇宙をめざして
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●星の美しさに魅了され天文の世界に飛び込んだとき、「はじめに星座ありき」で始まった。ひたすら星座を覚え星の世界に引き込まれていく。双眼鏡、望遠鏡を使って倍率や口径が大きくなるにつれて個々の天体に移っていく。月に始まり、太陽、惑星、彗星などを経てやっと星の世界に入り込めるようになる。星の世界は天文への入口であったが、望遠鏡という道具が使えるようになると意外と難しい分野であることが分かってくる。明るい恒星を視界に入れてみればすぐに了解されるだろう。星は肉眼と変わらない大きさで視野の中に見えている。望遠鏡って星にとってどんな意味があるのだろうと疑いたくなってくる。その視界が開けてくるのは、星団や星雲を探せるようになり、その姿をじかに見るようになってからである。相変わらず点にしか見えない恒星も星団という集まりになると俄然その迫力が違ってくる。おうし座の散開星団「すばる」(プレアデス星団)を望遠鏡に入れて40倍くらいの低倍率で見るとまずその美しさに見惚れてしまう。星は点々であるが明るさの違う星々がまるで砂絵のように画面いっぱいに広がっている。肉眼だけでは確認できなかった暗い恒星まで見えている。光を集める望遠鏡の威力を実感するときである。冬の夜空でもうひとつ目立つ天体がある。オリオン座の真ん中の三ツ星の少し下に肉眼でも淡く見える天体がある。蝶が羽を広げたようなその姿は、長時間露光した写真では赤や青の入り混じった姿が映し出される。 夏の天の川に望遠鏡を向けてみる。銀河から離れて真上あたりにヘルクレス座という星座があるが、その中にM13という天体がある。倍率を少し高める。低倍率では丸い雲のように見えていたものが星々に分かれてくる。恒星が球状に集まった球状星団である。これらの3つの天体は天の川銀河内にある天体である。星までの距離感覚がないわれわれはすべてが同じ丸天井に張り付いているように思える。ちょうどプラネタリウムと同じように。しかし多くの天文学者たちの努力によって恒星までの距離がわかるようになると、恒星の世界に奥行きがプラスされてくる。 秋の澄み切った空、アンドロメダ座にM31という天体がある。いくらか楕円形の雲のように見える。これは天の川銀河の外にある別の銀河である。天の川銀河に含まれている恒星は1000万個くらいと言われているがアンドロメダも同じような恒星の大集団である。銀河と呼ばれているものは今では恒星のように無数に見つかっている。これらの銀河は昔、星雲という名前で呼ばれていたが、天の川銀河内にある散光星雲・暗黒星雲・惑星状星雲などと紛らわしいために銀河と改められた。銀河の世界は肉眼だけでは力不足で、どうしても写真という補助を必要とする。対象が淡いものだけに光を蓄積してやってその姿を捉えることができるからだ。銀塩カメラにしろCCDカメラにしろ長時間露光できる器具はどうしても必要になる。撮影する、そして見るという二段階のわずらわしさがあるがこれがいまのところ最良の観測法である。 アマチュアが恒星を含む天体を観測するのに際して苦労するのが、その天体を探し出して望遠鏡に入れてやるということだ。明るい恒星をたどって目的の天体までたどり着くまでどうしても多くの時間を費やす覚悟がいる。望遠鏡の視野内の星を懐中電灯で星図とつき合わせながら一歩一歩近づいていく。この初歩的な方法にはしだいに目的の星に近づいているという興奮がある。そして導入したときの喜びがある。 しかしもっと効率よく探す方法はないものかと考え出す。そして次にとる方法は赤道儀の目盛環を利用することだ。星の位置は赤経・赤緯という地球上の経度・緯度と同じような目盛で決められている。星はその2つの座標で必ず特定できる。赤道儀の目盛環はそれを利用した方法である。まず赤道儀の極軸セッティングをした後、何か知っている星を望遠鏡に入れる。そしてその星の赤経・赤緯を調べて目盛環を合わせる。これが第一段階である。そして目的の天体の赤経・赤緯を調べその目盛になるまで望遠鏡を動かしてやる。これで目的の星が望遠鏡に入っているという仕組みである。この方法は星を辿っていく方法より効率的である。これで一気に導入時間も節約でき観測に集中できるようになる。ここまでが通常の方法と言える。さて最近ではコンピューターが発達しているので、これを利用した望遠鏡器具が登場している。最初の初期設定というのがいるものの、後は目的の天体を選んでキーをポンと押すだけで望遠鏡は動き出し自動的に目的の天体を導入してくれるのだ。まったく便利な世の中である。天文学者と言われる人で星座をよく知らない人たちもいると聞く。自動導入で目的の天体を導入してその観測に集中する。考えてみればこれでいいわけであるが、古い世代にとってはちょっと寂しい気がする。星の観測は時間との勝負だと言われればそうかもしれない。事実、僕も目盛環を使い出すともう手放せない。しかしと思う。星を好きになった頃を思い出す。あのころは星にロマンを感じていた。そうだ、アマチュアのいいところはロマンを持ち続けることができるということではないだろうか。遠回りでもいい、遊びながら星を楽しむ、そんな自分をいつまでも持ち続けることができたら満足である。 天体観測の合間には、読書も楽しいものだ。最近読んだ「ビッグバン宇宙論」(サイモン・シン著、新潮社)は特に面白かった。壮大な宇宙を相手に、その起源ともいうべきビッグバンを正面から取り扱った良書である。細かな人物描写、ビッグバン理論に至る格闘が上下2巻にわたる大書で見事に表現されていた。ビッグバンの反対陣営で定常宇宙論を展開していたフレッド・ホイルが相手を揶揄する意味で「ビッグバン」と言った名称がそのまま一般に通用し、今日まで至っているというのは皮肉な話でもある。 1971年にC.A.ホイットニーによって書かれた「わが銀河の発見」(1974年 日下実男訳、立風書房)は銀河の発見の歴史を事細かに書いていて、サイモン・シンの著作と並ぶ名著だと思う。ホイットニーが天文学者であるために説明も理路整然としている。特にハーシェルの記述に関しては他に及ぶものはないほど詳しい。ハーシェルは星雲・星団の世界に初めて眼を向けたアマチュア天文家である。 こういう本から宇宙に対する想像力がわき新たな力を受け、星への興味を増すことができる。本は自分の中の微妙なバランスを保つ役目を果たしているのかもしれない。 |
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記:2006/7/16 |