追悼・茨木のり子



詩人の茨木のり子さんが亡くなられた。彼女の詩に触発されたのはここ数年と言ってもいい。1999年に出版された「倚りかからず」が詩の世界ではめずらしいベストセラーになった。その時初めて彼女の詩に触れたのだった。ずばっと物を言い、それを詩という形式で表現した。その出会い以来、彼女の詩を読み始めたのだ。
茨木さんは20歳で終戦を迎え、23歳で結婚、その後から詩を書き始める。50歳でハングル語を学び、韓国の詩を訳したりもしている。そのバイタリティには恐れ入る。1955年の第一詩集「対話」から始まり多くの詩を世に出している。青春時代を戦争で奪われた思いを「わたしが一番きれいだったころ」に凝縮させたりもした。
好きな詩はたくさんある。「自分の感受性くらい」も印象に残る詩の一つである。
茨木さんは79歳でその生を閉じたが、彼女の残した詩は永遠に私たちの心に残ることだろう。詩の中に彼女は生き続けているのだから。


  自分の感受性くらい  茨木のり子

  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて

  気難しくなってきたのを
  友人のせいにはするな
  しなやかさを失ったのはどちらなのか

  苛立つのを
  近親のせいにはするな
  なにもかも下手だったのはわたくし

  初心消えかかるのを
  暮しのせいにはするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ


略歴
1926年6月12日大阪に生まれる。2006年2月19日死去。
「うたの心に生きた人々」「倚りかからず」「対話」「鎮魂歌」「見えない配達夫」
「自分の感受性くらい」「獏さんがゆく」「落ちこぼれ」「韓国現代詩選」「ハングルへの旅」他
2006/2/22 記