鏡の歴史
●本の表カバー(ベラスケスの「鏡を見るヴィーナス」)は何とも怪しげなイメージが漂っている。ジャーナリストのマーク・ペンダーグラストが膨大な資料と取材を駆使して鏡に関する480ページという分厚い百科全書的な本を書いた。内容は魔法、科学、天文、物理、芸術、その他多岐に渡っている。望遠鏡あり、万華鏡あり、立体鏡あり、姿見の鏡あり、カメラ・オブスクラありという具合だ。視覚の捉え方、光の物理的解釈の歴史や、鏡を使うことによる自意識の変遷、望遠鏡その他の鏡に魅せられた人々の歴史を丹念に追っている。 日本の卑弥呼や天の岩戸そして「刀は武士の魂、鏡は女の魂」ということばも出てくるのには驚かされる。 古代文明においては、鏡は霊的あるいは宗教的なイメージを持ったものとして扱われている。自然の石(黒曜石や粘板岩など)や金属を磨いたものが鏡として利用されていた。それも平面というよりやや凸面になった鏡を利用していた。今でも反射鏡を磨くときは二つの平面の間に研磨剤を入れて研磨していくが、上のガラスは凹面に下のガラスは凸面に仕上がっていく。平面を作るためには3枚のガラスを使って仕上げる。平面はそれだけ手間がかかるし難しい。 姿見の鏡は、自分の姿に見惚れて水仙になってしまったというギリシャ神話のナルキッソスの流れを今に至るまで引きずっている。毎朝顔を洗った後、自分の顔を見て男性であれば髭を剃ったり、女性であれば化粧をしたりと鏡は無くてはならないものとなっている。これほど自分の姿をしげしげと眺める動物は他にはいないだろう。 望遠鏡の世界では、鏡は多くの光を集め細かなところを見るために利用している。世界の巨大望遠鏡はほとんどが反射望遠鏡である。ニュートンに始まり、ハーシェル、ロス卿と反射望遠鏡は巨大化していく。現代のウィルソン山天文台の100インチ(2.5m)、パロマ山天文台の200インチ(5m)望遠鏡、そしてハワイのマウナ・ケア山頂の巨大天文台群(日本のすばる望遠鏡8.2mも含まれる)はその最たるものと言える。巨大化の理由はより遠くのものを明るく見たいの一点にある。遠くを見ることは過去の姿を見ることに他ならない。ビッグバンに近い世界を見るために、これからも巨大化の波は限界まで留まることが無いだろう。 この本を読んでいて望遠鏡に関して何箇所か明らかな間違いがあることも気づいた。 例えば、ハーシェルの望遠鏡について述べている個所で「彼は八十等星以下の暗い星まで見ることができた。」(P.248)とあるが、これは明らかにおかしい。ハーシェルは最大口径126cmの反射望遠鏡を作ったが、倍近い口径240cmのハッブル宇宙望遠鏡でさえ、30等星である。 (注:極限等級は、1.77+log(口径のmm数)で計算できる。これに当てはめて計算すると約17.3等星という答えが出てくる。ということは文字化する段階で十八を八十と間違って記載した可能性が強いと思われる) また反射鏡のテストで用いるフーコーテストを述べている個所で「光軸上の焦点に点光源を置くと、反射された光は直接,光源に戻ってくる」(P.277)とあるが焦点に光源を置くと平行光線で戻ってきてしまってフーコーテストはできない。焦点ではなくて球心の間違いである。フーコーテストは球心から出た光が球心に戻ってくることを利用したナイフエッジテストである。焦点の2倍の位置に球心がある。こういった間違いはあるものの、よくぞここまで調べ上げたものだと感心してしまう。 さて、最後の方に鏡の反転の謎が少し言及されているが、これは未だに結論が出ていない問題だ。「鏡の反転の謎」というのは鏡に向かって自分の姿を見たとき、そこに写っているのは左右が入れ替わった姿であるが、この理論的説明が未だに解決していないのだ。それに関連してトゥルーミラーが解説されている。左右が反転しない鏡である。一番簡単な方法は2枚の鏡を直角に並べ二つの鏡の合わせ線に顔の中心が来るようにして見ると、鏡の作用で顔の半分づつが相互に入れ替わって他人が見ている本当の自分の姿が見られる。三面鏡の二つを直角にして眺めてもいいだろう。写真で時々見ているとは言え、じかに見慣れていない姿を見ると違和感を覚えてしまう。そんなわけでこの本はあれこれ楽しめる本と言えるだろう。尚、原書では13章構成になっていて第11章で電波天文学とX線天文学の話で宇宙背景電波やクエーサー、パルサーなどの話があり、第12章ではパロマー以降の様々な望遠鏡の話でハッブル望遠鏡、分割型の鏡、複数の望遠鏡と干渉計を使う観測法、それから次世代の宇宙に出てから広がるクモの巣のような鏡を持つ望遠鏡などが紹介されているという。この2章が割愛されているのは天文に興味あるものにとっては残念でならない。もし改訂の機会があれば追加してもらえるとうれしい。 |
【目次】 第1章 古代文明と鏡 第2章 魔法の鏡の時代 第3章 光とは何か 第4章 科学の鏡の時代 第5章 鏡に関する文学 第6章 鏡に関する絵画 第7章 宇宙を捕らえる鏡 第8章 光の正体 第9章 巨大望遠鏡の発展 第10章 鏡と虚栄産業 第11章 幻想と現実を映す鏡 |
ハーシェルの口径126cm反射望遠鏡 |
記:2007/2/15 |