日本、初の反射望遠鏡



反射望遠鏡がはじめて日本に伝わったのは、1818年頃と言われています。型式はグレゴリー式。これを見た近江の国(現在の滋賀県)に住む鉄砲鍛冶職人の国友籐兵衛が、まねて6台ほど作ったといいます。下図が、その望遠鏡の図。
国友籐兵衛(1778〜1840年)

追記
上記の文を出した後、メールをいただきました。この望遠鏡が4台現存しているというニュース。そこで、インターネットで調べてみたらありました。長野県上田市立博物館に下の写真の望遠鏡が現存していました。後の3台は、滋賀県長浜市国友町の国友籐兵衛の生家、彦根城博物館、長浜城歴史博物館にそれぞれ1台づつ保管されているそうです。さらに、籐兵衛は、天保6年(1835年)から7年にかけて太陽黒点を216回にわたって観測もしていました。その他、月、木星、土星の観測記録が残っています。
   
   籐兵衛が描いた月

【国友籐兵衛作の現存している反射望遠鏡】

国友籐兵衛の望遠鏡について、さらに詳しく調べた人がいまして、その報告を「日本スペースガード協会」の機関誌「あすてろいど」に連載しています。スペースガード協会は、木星へのシューメーカーレビー彗星の衝突などの影響を受けて、国立天文台の磯部さんたちが起こした会です。その会報に、上田市教育委員会の渡辺文雄氏がちょんまげ頭で見た天体と題して掲載しています。金属鏡でありながら、いまだに鏡として使えるのは、同じ真鍮でも、錫の成分が多いためらしい。この辺の研究も籐兵衛はしていたようです。さらに「空船」すなわち飛行船の研究もしていたというから驚きです。

屈折望遠鏡では、和泉貝塚の岩橋善兵衛の名が知られています。寛政8年(1796年)には、伊能忠敬のために作っていて、測量に役立ったと言われています。