【光センサーとしての眼】
 このように生物の眼に教えられることは無限と言っていいでしょう。おそらく、これからいろいろな応用光学系が現われてくるものと思いますが、最後に人間の眼をもういど振り返ってみるのも意義あることなので、とりあげたいと思います。
私たちの眼図5)は当然のことながら、光を捕らえて、外の現象を脳に伝える役目を持っています。
 まず光の進みかたを見てみましょう。はじめに、光は眼の保護部分でもある角膜を通ります。角膜もレンズとしての働きがあつて、光は少し屈折します。それから、レンズに当たる水晶体を通った光は網膜に集められます。網膜に作られた像は逆さですが、その情報が視神経によって、脳に送られコンピュータ処理されて見えるという仕組です。
 眼は角度1分の分解能力で「焦点距離約20ミリのオートフォーカスレンズ」を持つ光センサーです。
望遠鏡という補助器具を使って天体を見た時、望遠鏡の分解能力をいっぱいに発揮するための適正倍率があることは皆きんもご存じでしょう。
たとえば望遠鏡の分解能が1秒角の時は、60倍の倍率をかけるという具合です。1秒の60倍は1分となり、裸眼の識別能力の範囲内に入るからです。
人間の眼にも、驚くようなことがいろいろあります。なかでも興味深いのは、網膜上の視細胞に結んだ像の情報を伝える神経細胞、言わば眼の電気回路が視細胞よりもレンズに近いところにあるということです。(図6
透明な電気回路基板」なんて、まだ人間には作りだせません。でも人間の眼にはどんな技術者にも負けない回路ができあがっているんです。


【図5 人間の眼の構造】



【図6 人間の視細胞】
網膜をもう少し詳しく見てみましょう。
網膜上には多くの視細胞が並んでいて、外からの光を捕えていますが、視細胞に2種類あることが知られています。 眼の視線方向に数多くある「すい状体」、周辺部に広かっている「かん状体」の2つです。2つの視細胞はそれぞれ働きが異なっています。
「すい状体」は明るいところで働き、細かい所を見分けたり、色を感じ取ることができます。「かん状体」は、色の識別ではちょっと弱いのですが非常に高感度の細胞で、夜の暗闇に反応するものです(図7)。
天体観測で活躍するのが主にこの「かん状体」です。「すい状体」と「かん状体」の働きの違いは、次のようなとき皆さんも経験しているはずです。
 昼間、映画館に入った時のことを思い出してください。最初の数分間は、スクリーンだけが見えて他は真っ暗で何も見えません。こんな時に、無理に動くと階段につまずいたり椅子にぶつかったりして大変です。7分くらい経つと、通路が見えるくらいになりますが、まだ完全ではありません。12分くらい過ぎると、さらに細かな所まで見えるようになってきます。これは、暗さに反応する「かん状体」が、本来の性能を発揮するまでに時間がかかることを意味しています。
 さて、逆に映画館を出る時はどうでしょうか?
はじめまぶしさを感じますが、2分もすれば、元通りになります。「すい状体」の適応がいかに速いかがわかります。夜空の星を見たい時、明るい部屋から外に出てもすぐにはよく見えませんね。まだ「かん状体」の準備が整っていないためです。
天体観測では、30分くらいまわりの暗闇に眼を慣らすことを忘れないようにしてください(図8)。
 人間の眼は、いま見てきたように2つの光センサーを持っていて、外界の明るさに応じて、低感度高分解能センサー高感度低分解能センサーを使い分けています。人間には欲がありますから望遠鏡などの補助器具を併用Lて、眼の能力を高感度高分解能センサーにまで高めています。他の生物にできないことをやってのけているといえるでしょう。



【図7 すい状体とかん状体の感度】



【図8 すい状体とかん状体の反応速度】
 人間の感じ取ることができる明るさの範囲が非常に広いのにも驚きます。6等星の明るさから、太陽の明るさまで実に10兆倍の明暗の差を読み取ることができるのです。これが可能なのも、入間の眼が「対数的に明るさを処理する能力」を進化の過程で獲得してきたからなのです。明るいものは、明るさを圧縮し、暗いものは感度を上げて見えるようにしています。電気光学の世界でいう「光センサーログ(対数)アンプ」が、まさにこの働きをしています。人間が高度と自負している電子工学技術を、眼はすでに実現しているのです。
 人間の眼には、まだおもしろいことがいっぱいあります。たとえばです。涙は眼をいつもきれいにしておくための自動洗浄装置です。カメラのレンズでこんなものがあるでしょうか? 自動的にレンズ面に付いたほこりを払って、きれいにしてくれるものかあったらいいとは思いませんか?天体撮影中にレンズに露がつき、せっかくの写真がおじゃんになった経験を持っている方も多いでしょう。こんな時、露払いの装置があれば便利です。眼は、この作業を涙により、みごとにやってのけているのです。
 また、眼は無意識のうちに1秒間に100回以上の微小運動(固視微動という)をしています。視角でいうと20〜40秒角の振幅です。これは、網膜上の動きでいうと、視細胞1〜1.5個分に相当する小さな振幅です。でも、これがどうも重要な働きを持っているようです。装置を使って無理やりこれを止めてしまうと、数秒であたりの景色は消え失せて何も見えなくなってしまいます。眼は動くことで物を認識しているようです。人間の眼の最小分解能が角度1分というのも、この固視微動と視細胞の大きさに関係しているのでしょう。
さて、「生物に学ぶ光学系」の話はいかがでしたか?普段ついつい見過ごしてしまう事実に結構おもしろい秘密が隠されていることに気づかれたことでしょう。自然をあらためて見つめ直すと、新たな光学系やアイデアを発見できるかもしれません。人間が作り出したものは、自然のほんの一部の再現に過ぎないのですから・・・。