プラネに通っていたころ



星がきれいに見えるところに住んでいれば、人工の星を映し出すプラネタリウムは必須の施設ではないだろう。東京に住んでいた頃、まだ公害&光害の影響は少なく、年に何回かは天の川が見えていた。東京と言っても田舎に属する練馬区ではあったが。1970年代、光化学スモッグ情報が毎日流されるようになると星空が急速に消えていった。それでも星空を見たいという想いはみんなの心に残っていた。

 東京では渋谷の東急文化会館の8階にただひとつのプラネタリウムがあった。五島プラネタリウム。直径18メートルのドームの真ん中にツァイスの投影機(ツァイスW型)がでんと居座っていた。それを取り囲むように円形に座席が並べられていた。そもそもプラネタリウムはその名前が示す通り、惑星(Planet)の位置を正確に星空に表示するという意味から付けられている。1923年ミュンヘンのドイツ博物館で「ツァイスT型」のデモンストレーションが行なわれたのが初めと言われている。日本では1937年(昭和12年)に旧大坂電気科学館にこの後継機であるU型が導入されたのが初めである。僕はまだ生まれていない。五島プラネ・ツァイスW型

 プラネタリウムは必ず日没から始まる。夜へと突入する心の準備を与える意味もあるのだろう。太陽が西に傾いていくにつれ夕焼けがその色を増していく。一番星が姿を現してくる。空も暗さを増していく。西空に残っていた薄明も薄れていく。そして6等星まで見える星空が真っ暗なドーム内に映し出される。水野良平さんのやさしい語りが始まった。北の星空の解説から始まることが多かった。宵の明星が出ているときには金星から話が始まる。そして北極星の探し方の話に移って行く。大熊、小熊にまつわる神話が語られる。隣が見えないほどの暗さが、今自分がいるこの場がドーム内であることを忘れさせ、人工の光のない山の上にいるような錯覚に陥る。夜は眠気を誘うのか、かすかないびきも聞こえてくる。気分が落ち着いてくると同時に夜の暗さに恐怖も感じる。都会の真ん中にいるというのが幻想に思えてくる。これが現実で、都会が幻影であるかのような倒錯。南の空には大きなS字カーブを描くさそり座が、そして南北に流れる天の川が天を二つに分けている。いて座方向の天の川が一段と明るい。真上には天の川の中に大きく羽を広げた白鳥が飛んでいる。北十字、うまい名前をつけたものだ。織姫と牽牛が天の川を挟んで向かい合っている。水野良平さんのユーモアを交えての名調子が続く。
大きなプラネタリウムほど解説員がいないところが多い。映画と同じで初めから組まれたプログラムに従ってCG映像が流され星物語が進行していく。昔のプラネには観客とのコミュニケーションがあった。水野良平さんのように語り掛ける星物語があった。映画の活弁士と同じだ。星空を眺めるのは人間。自然の中にいる人間を意識させるのが解説員の役目であったように思う。
1957年から続いていた五島プラネが44年の歳月を経て2001年の春に閉館した。入場者数が年々減少し、最盛期の2割を割り込んだためだった。五島プラネタリウムが開設されたのは、ちょうどソ連のスプートニク1号の打ち上げが成功し人類初の人工衛星になった年だった。世間の眼は宇宙に向けられていた。プラネタリウムのある8階の入り口を先頭に次の回を待つ人が8階から1階まで回り階段に並んでいた。五島プラネは国立科学博物館の村山定男さんや東京天文台の台長であった萩原雄祐さんらの東急電鉄への働きかけから生まれたものだった。

 1989年に竹下首相が「ふるさと創世交付金」の名目での一億円を全国の地方自治体にばら撒いた。その交付金でプラネタリウムや天文台を作ったところが多く、全国数十ヶ所で建設ラッシュが起こった。プラネタリウムは単に星空を写し出すだけでは人は集まらない。番組作りを外部に依頼して作ってもらうことが多いのでソフト代にお金がかかる。この予算の見込み違いから採算が合わず廃れたところも多かったと聞く。人材も不足していた。理科の先生やアマチュア天文家、町役場の職員の兼任が多かった。人材も育てず、入れ物だけを安易に作った功罪と言えるだろう。

 一方、1978年にオープンした池袋のサンシャインプラネタリウムが2003年に閉館になるという話が報道された。五島プラネの二の舞は踏みたくなかった。プラネファンによる存続を願う署名活動が功を奏して、コニカミノルタによるサンシャインスターライトドーム「満天」として再出発することになった。渋谷と同じ憂き目に会うことから免れたのだった。プラネが存続したものの、平日の入場者は決して多いとは言えない。僕が平日に行ったときには20名程度の入場者だった。プラネの再生を図ろうとしているときにひそかに登場してきたのが「メガスター」だった。大平 貴之さんが一人で作り上げたプラネタリウムだ。普通のプラネタリウムは肉眼で見える約6000個の恒星を投影するように設計されている。ところがメガスターは400万個の恒星と星雲・星団などを投影できる能力を持っているのだ。そんなに写しても結局眼に見えるのは6000個の恒星だけではないかと思うかもしれない。しかし、プラネタリウムに双眼鏡を持ち込むと眼では見えなかった暗い星々が姿を現してくる。天の川に眼を向けると、ガリレオが初めて「天の川が恒星の集まりである」と認識したその事実を体験できるのだ。このリアルプラネタリウムがプラネタリウムに新しい息吹を与え、宇宙への興味を再び引き出してくれた。その後、空前のヒットを実現させた「メガスター」の家庭版プラネとしてセガトイズから「ホームスタ」ーが売り出された。生産が間に合わないくらい爆発的な人気を集める。これはうれしいことだが、ここでストップしないでほしい。プラネがきっかけとなって、本当の星空を眺める人が増えることを願って止まない。


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記:2006/7/4