電波望遠鏡

天体観測は、長い間、大気を通過できる可視光線の狭い範囲で行われてきた。人間の目で見えるもの、それがすなわち宇宙の姿であった。しかし可視光線だけが宇宙を知る手段ではないことを1931年にアメリカのジャンスキーが偶然に発見した。彼はラジオなどの雑音がどこからくるのか調べていたのだ。彼は毎日同じ方向からくる雑音を受信していたが、詳しく観測してみると、雑音が現れるのが1日経つごとに4分ほど早くなり1年後に元に戻ることをつきとめた。それで、はじめて地球外からやってくる電波であることに気がついたのだ。ジャンスキーの発見に注目して、パラボラ型の電波望遠鏡を初めて作ったのはアメリカのグロート・リーバーであった。自宅の庭に直径9.5mのパラボラアンテナを立てて、天の川の電波地図をはじめて作ったのだ。1930年代後半のことである。これが電波天文学の始まりである。世界の天文学者が、宇宙からの電波の重要性に気づきだしたのはやっと第二次世界大戦後からである。宇宙からの電波を捕らえるアンテナを特に電波望遠鏡と名づけているが、エレクトロニクスの発達につれて性能が上がり本格化するのである。
日本での電波観測は、1982年に長野県野辺山に電波観測所が出来てからだと言えるだろう。野辺山駅はJR線で最も高い所にあるので世間に知られているが、観測所は、標高1350mののんびりとした高原牧場の中にあり、おわん型の45m電波望遠鏡がひときわ目立っている。電波でも、mm波の観測に使われているのが、この望遠鏡だ。
観測する波長が違うと見えてくる天体も変わってくる。目では、高温の恒星は良くみえるが、低温の雲状のものは良く見えない。電波望遠鏡はこういった低温の世界を見せてくれるのだ。宇宙空間はまったくの真空ではない。1cm角の立方体の中に1個くらいの分子が少なくともあるという。電波望遠鏡はこんな世界を見るのにも適しているのだ。
 
   野辺山電波観測所の45m電波望遠鏡

野辺山の45m望遠鏡を近くで見ると、多くのパネルを張り合わせてある。パネル同士の間は1mmくらいのすきまが開いていて、雨水などが貯まらないようにうまくできている。ふつうアンテナは白く塗られているが、太陽の光をできるだけ反射して、アンテナが暖まるのを防いでいるのだ。野辺山のアンテナの面はパラボラ(放物面)になっているが、その凸凹の精度は0.1mm以内に作ってあるという。観測する波長がmm波なので、このくらいの精度を出さないと使い物にならなくなってしまうのだ。波長が数メートルの電波をとらえるのであれば、数cmの穴が開いていても支障がない。
野辺山が観測地に選ばれたのには理由がある。mm波の観測には湿気が大敵である。水蒸気に吸収されて弱くなってしまうのだ。それと山に囲まれているので、都会の雑音電波がやってこない。微弱な電波を捕らえるにはこんな場所が最適なのだ。
野辺山には、45m鏡の他に、直径10mのパラボラアンテナをT字型に東西南北約500mのレール上に6台並べて実質的に大口径の望遠鏡を実現しているものもある。
世界には多くの電波望遠鏡が建設されている。プエルトリコのアレシボ天文台にある300mパラボラアンテナは、山のくぼみの形状を利用した固定式のもので、観測の方向はおわんの中央に釣り下げられている受信機の位置を変えて行っている。
 また、アンテナを数kmから数1000kmの範囲に並べて、実質的に口径を大きくしたものもある。光学望遠鏡と同じで、口径が大きいほど、多くの電波を捕らえることができるし、分解も良くなるからだ。 電波望遠鏡を使って、星の誕生過程や銀河の構造などが現在研究されているが、電波天文学は、始まってからまだ70年にも満たない新しい分野なのである。