ハーシェルの大望遠鏡(銀河系の模型)

ニュートン以後、大型の反射望遠鏡が作られ始める。その中でハーシェルの活躍は飛びぬけていた。1738年、ドイツのハノーバーに生まれたウィリアム・ハーシェル(1738〜1822)は、18歳のときイギリスに渡りオルガン奏者として生計を立てていた。

ハーシェルW.ハーシェル(1738-1822)

34歳ごろから天文学に興味をおぼえ、市販のレンズを使って長さ9mの屈折望遠鏡を作ったが、筒が長いため扱いにくかった。その後、反射式が短くて扱い易いことを知って、独自に作ることを決心する。初めは口径11cmの反射望遠鏡を製作した。
この望遠鏡で恒星を見て、多くの星が一点ではなくて、一対の星からできていることに気づく。二重星の発見である。43歳のとき、調べ上げた二重星のカタログを刊行している。同じ年、観測中に見なれない天体を発見する。形は円盤状で、周りの星とは違っていた。次の晩に再び同じ天体を見てみると、昨日の位置から角度で1分程度動いていた。はじめハーシェルは彗星と考えて報告したが、後に軌道が決定されると、新しい惑星であることがわかった。新惑星「天王星」の発見(1781年)である。これによってハーシェルは英王室から年金を受けるようになり、王立協会の会員に推薦された。その後、ハーシェルは口径が30cm,48cm反射望遠鏡を作っていく。自ら鏡の研磨機械を設計しての製作である。そして51歳のときに、口径120cm、焦点距離12mの大反射望遠鏡を完成させた。前に述べたように、当時の鏡は
銅とスズの合金であったが、銅の含有率が多かったため、すぐに錆びて曇ってしまった。そのため彼の観測は主に48cm、晩年は60cmの望遠鏡で行なわれた。大望遠鏡は特に暗い天体に威力を発揮する。多くの光を集めるからだ。彼は星の世界に引き込まれていった。

メシエが作った「星雲・星団カタログ」に刺激されたハーシェルは、独自に星雲カタログの作成している。メシエが109個だったのに対して、2500個ちかい星雲・星団を掲載している この仕事は息子のジョンが受け継ぐことになる。
「1等星の明るさは6等星の100倍である」ことを見つけたあのジョン・ハーシェルである。
 ハーシェルが行なった仕事の中で、特に後世まで影響を与えたのは、天の川の観測であろう。妹のカロリーネを助手に加えての気も遠くなるような計画である。星を数え始めたのだ。天の川近辺の星を数えることは、容易なことではない。空を、まず2度15分の正方形の区画に分けた。3500個の区画である。それぞれの区画の中で、明るさごとの星の数を数えるのである。この単純で根気のいる仕事を終えたとき、ひとつの宇宙像が浮かび上がってきた。人類がはじめてとらえたわれわれの「銀河系」の姿である。
太陽は銀河系の真中あたりに位置していて、その周りをレンズ状に星が取り巻いている。

ハーシェルが描いた銀河系像

 当時、星までの距離はまだ分からなかったから、
星はすべて同じ明るさであり、暗い星ほど遠くにある
という仮定が必要であった。
 現在、銀河系は直径10万光年で、太陽はその中心ではなくて、中心から約3万光年の距離にあって、形は横から見ると中央が膨らんだレンズ状をしていることが分かっている。

現在の銀河系の姿

 ハーシェルが見積もった銀河系の直径は、約7000光年。現在分かっている大きさの約1/15とかなり小さめであるが、これには当時の技術と知識に限界があったから致し方ない。星には明るい星もあれば暗い星もある。さらに星間には光を吸収する物質もあって光を弱めたりしている。これらを考慮に入れないと距離の見当が大幅に狂ってしまうのだ。それにしても、ハーシェルは銀河系の形をここまで良く描いたものだ。
 ハーシェルの仕事で、最後に付け加えておきたいことが一つある。太陽の観測中に鏡がゆがむことに気づいた彼は、「色の違いによって熱効果が違う」ことを発見する。黄色より赤い色の方が熱効果が大きい。さらに赤より波長が長い方に目では見えないが、熱を運ぶ効率が断然いい光があることに気がついた。赤外線の発見である。
 ハーシェルの時代、屈折望遠鏡は主に星の位置測定に使われていたが、反射望遠鏡は星雲などの暗い天体の探求に目を開かせたと言えるだろう。

  19世紀中頃、ロス卿によって作られた口径180cm反射望遠鏡