●流れ星を見たことはありますか?長谷川時夫さんの話を思い出す。彼が運営するフリースクールでは「流れ星を七つ見るまで寝てはいけない」という規則(?)がいつのまにかできたとか。流れ星は環境基準あるいは文化のひとつの基準になるかもしれないと考えたのだ。
流れ星が光っている間に願い事を言えば願いが叶うとか。田舎では1時間くらい空を見上げていさえすれば数個の流れ星ならいつでも見ることができる。どこに現れるかは予測できない。そしてあっといまに消えていく。願い事を言っている暇などないのが普通だろう。流れ星は地球軌道上に散在している数ミリグラム〜数グラムという小さな粒が地球大気中に飛び込んで発光する現象。粒が多い場所と少ない場所があるので、日によって流星の出方も違ってくる。粒の大きさの違いは見える明るさの違いとなって現れる。粒が特に多く集まっている場所を地球が通りすぎると、普段とは違って多くの流星が流れる。流星群と呼んでいる。小さな粒は彗星が落としていったもの。しし座流星群はテンペル・タットル彗星の落とし子だ。流星を見たければこういう日を狙ってみるのが一番確実な方法だ。
2001年11月19日早朝がその日だった。この日に多くの流れ星が流れることは予想されていた。イギリス北アイルランド、アーマグ天文台の若き天文学者デビッド・アッシャーさんは19日未明に日本で流星雨が出現すると予測していた。ラジオやテレビ、新聞などのメディアが騒いでいた。しかし1972年のジャコビニ流星群の例がある。このときも大いに騒がれたが不発に終わったという苦い経験。今度は本当に現れるのか本番までまったくわからない。
18日の夜、僕と長男は観測のために北軽井沢に向かった。北軽井沢は微妙な位置にある。この時期このあたりは南と北の高気圧勢力が争っている境目あたりにあたる。雲が出やすいということだ。案の定、目的地に到着したときには厚い雲。南へ行った方が良かったかもしれない、むしろ自宅の方が良かったかもしれないという後悔が頭をかすめる。23時過ぎに自宅から携帯に電話がかかってきた。「こっちでは流星がよく見えているよ」やはりそうだったか。悔しいけれどどうしようもなかった。今更戻る時間はない。空を見ると南の空が晴れ上がっている。しだいにその晴れ間が北上しているのがわかる。運を天に任せるよりしかたがない。夜半過ぎになって車から出て空を見上げると北の一部を除いて晴れ上がっていた。ヤッター。流星も流れ始めている。到着したときから撮影準備は完了していたので、空の3つの方向にカメラ3台を向けてシャッターを開く。5分露出したらシャッターを切り、同じ操作を繰り返していく。カメラの視野の中を運良く流星が流れてくれれば写っているが、全天をカバーしているわけではないので、写るかどうかは賭けである。しかしそんな心配は無用だった。あらゆる方向に雨のように流星が流れている。明るい流星も多い。明るいものは流れたところに痕跡を残していって、時間が経つにつれて広がっていく。いわゆる流星痕だ。この流星痕もはっきりと見える。恐ろしいほどの流星の数だ。空の各所が割れてそこから雨がほとばしり出たかのように一大スペクタルが繰り広げられていた。寒さや時間の経つのも忘れて明け方まで観測を続けた。霜が降りるような冷え込みだった。空が白み始めても明るい流星はまだ見え続けている。最後の写真を撮る。朝焼けに染まる浅間と流れ星、これはよく似合っていた。夜が明けてからも眠いのを通り越して興奮は収まらない。無理やりでも睡眠をとらないと帰りの運転がやばい。取りあえず軽井沢の野鳥の森まで下って、そこで休むことにした。長男は一人、鳥見に出かけていった。さすがに若い。一晩くらいの徹夜は何ともないみたいだ。それに比べてこちらは50を過ぎている。さすがにきつい。2時間くらい眠っただろうか。いくらか元気を取り戻したので、帰宅の途についたのだった。40年近く星を見てきたが、こんな流星雨に遭遇したのは初めてだった。眼にしっかりと焼き付いている。もう一度見たいと思うがこれが最後だろう。流れ星のいい条件はそう滅多にはやってこないから。1833年のアメリカ。流星の大出現に「世界が火事だ」と人々が泣き叫んだと伝えられている。2001年の流れ星もそんな恐ろしいほどの光景だった。
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