アウンサンスーチー
Aung San Suu Kyi



ミャンマーは軍事政権が独裁体制を敷いています。北朝鮮がわれわれに近いこともあって、何かとこちらの動きには敏感に反応しますが、同じアジアであってもミャンマーのことになると、あまり意識に上らないというのも確かでした。ミャンマーで反政府デモを取材中に治安部隊の銃撃を受け死亡したジャーナリスト長井健司さんの映像はテレビで連日流れたのを覚えている方も多いのではないでしょうか。仏教国と知られたミャンマーの旧名であるビルマには、「ビルマの竪琴」で多くの人が、その存在を知っているのに、新しい国名に親しみが湧かないのはどうしてなのでしょうか。この国名変更あるいは、首都であったラングーンをヤンゴンに名称を変えたのは紛れもないこの国を牛耳っている軍事政権でした。そういう国情の中でアウンサンスーチー(1945年6月19日生まれ)の名前は長いこと、ニュースとなって、私たちの耳に届いてきます。自宅軟禁を長年強いられてきたアウンサンスーチーのことは気になりながらも、恥ずかしながらどうして長い間、軟禁されているのかを知らないできました。
 「銃とジャスミン」という題名に誘われて、この本を読み始めました。アウンサンスーチーはジャスミンが特に好きで、髪にその枝をよくさしているという。民主主義の実現を目指して非暴力での戦いを敢然と実行しているのがアウンサンスーチーでした。アウンサンスーチーの父親であるアウンサン将軍はイギリスからのビルマの独立に力を尽くした「建国の父」として国民の信頼を集めていた人でした。しかしビルマの独立(1948年)を目前にして1947年7月19日に暗殺されました。母親は夫の亡きあと、インド大使として活躍したため、アウンサンスーチーも母といっしょにインドで過ごしたり、オックスフォード大学に留学、国連職員としてニューヨークで生活したりしました。英国人のチベット学者マイケル・アリスと結婚しましたが、軍事政権に苦しむミャンマーの現状に見たアウンサンスーチーはミャンマーを離れることができなくなり、家族といっしょに暮らすこともできなくても非暴力民主化運動に参加していったのです。軍事政権側はアウンサンスーチーが国民的英雄であるアウンサン将軍の娘ということもあって、ほかの反政府運動戦士と同じように扱うことができなく、自宅軟禁という特別な処置をとり続けているのです。何年にも亘る拘束と解放の繰り返しの中、アウンサンスーチーの一貫して民主主義の実現目指して戦い続けている姿には驚きと共に勇気を与えられる思いがします。アウンサンスーチーは1991年ノーベル平和賞を受賞しましたが、受賞演説は長男アレクサンダーが行いました。開発を優先する軍事政権と,国民の希望を背に民主化をめざすアウンサンスーチーたちの勢力がにらみ合いを続けているのがミャンマーの現在です。ミャンマーは占いがさかんな国で、軍事政権も星占いによる指摘を受け入れて都市の名前を変えたり、政治の世界に利用しています。重要事項の話し合いによる決定よりもこの占いが強く作用する国であるようで、民主主義についてこれからも人々の教育が必要と言われています。
 日本は民主主義の国家だと思い、思われていますが、ぼくが住んでいる町では今、ある対決があります。自治会の運営に関する問題です。まさに小さなミャンマーを思わせる自治会長の独裁とそれに反対する勢力との戦いです。ゴルフ場問題に端を発したこの戦いはまさに泥沼状態になっています。自分たちの自治会を取り戻すべくいまだ先の見えない戦いが繰り広げられています。アウンサンスーチーの伝記を読みながら、他人ごとではない民主主義の危うさを感じているこのごろです。

●アウンサンスーチーの名前について
アウンサンスーチーの名前は、父親の名前(アウンサン:Aung San)に、父方の祖母の名前(スー:Suu)と母親の名前(キンチー:Khin Kyi)から一音節ずつ取って、付けられたものす。ミャンマーに住むビルマ民族は性別に関係なくを持たないため、彼女の名前は「アウンサンスーチー」で一まとまりであり、本来分割する事は出来ない。アウンサンスーチーの「アウンサン」は姓や父姓ではなく、個人名の一部分に過ぎない。しかし、新聞やテレビニュースでは便宜上「スーチー」と表現されることがあります。

ミャンマー
記:2009/6/12