武田信玄を読んで
●長編小説を読むときには、それなりの覚悟がいる。読み始めの意識を長い間持続しなければ読み通すことができないからだ。しかし、それだけ細かな心理描写や経過をじっくりと味わうことができる良さがある。さて今回読んだのは、新田次郎の「武田信玄」である。文庫で4冊、「風」、「林」、「火」、「山」と分けられている。信玄がその言葉を旗指物(軍旗)に記すほど、戦い方を端的に表した言葉である。新田次郎の小説は好きで以前からいろいろ読んでいる。「強力伝」や「栄光の岸壁」、「モルゲンロート」、「剣岳-点の記」などほとんどが山岳関係の話が中心であったが、歴史小説は今回で2冊目にあたる。以前、読んだものに「武田勝頼」があったが、これを読んだときから信玄を読みたいと思っていたもののなかなか読み始めるきっかけがなかった。それは小説の分量に圧倒されたこともあったが、戦の場でどっしりと落ち着いて指示を出す信玄その人に対する嫌気もあった。しかしぼくも年をとってきたからだろうか、外見上のことはさておいて信玄の本当の姿を知りたくなって読み始めたのだ。読み始めると、今まで何で手をつけなかったのかと思うほど、面白く魅力的な人物像が浮かび上がってくる。新田次郎の書き手としての卓越さがあったことは確かである。さらに本の中で新田次郎も言っているが、信玄とライバルの謙信を比べたとき、信玄の方に人間的な魅力を感じているということで、それが内容を充実させていったように思える。小説家というものは歴史家とは違う見方をする。史的事実の背後に潜む人間像を想像しながら書くわけであるから、書き手の思い込みが文章に表れないはずはない。「父・武田信虎を追放して甲斐の国を治める」→「今川義元が上洛の軍を起すが、桶狭間の戦いで織田信長にはばまれる」→「上杉謙信との川中島の会戦に大勝利する」→「上洛の西上作戦を試みるが、労咳との戦いに苦しむ晩年の信玄」。それぞれの巻に読みどころを作って読者を飽きさせないところはさすがである。歴史小説は、書かれていることが事実であったことが、読み手に重みをつける。そこが他の小説とは異なるところだと言いたいのだが、新田次郎の山岳小説も実在の人物を扱っているところは歴史小説を同じであるので、そうとも言えなくなってしまう。あくまでも事実を追い求め、その中に人間性を追及したところに小説家・新田次郎がいるのだと思う。 |
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記:2009/10/9 |