たんば色の覚書



 いつも物事に真摯に対峙する辺見庸さんの新しい本を読んだ。死刑廃止をずーっと訴え続けている彼の論調は変わらない。この題名にもひかれるところがあった。副題が「私たちの日常」とある。何気なく過ごしている日常の背後で知らないうちに執行されている死刑。人が正義の名を借りて、公然と人を殺す行為。これは明らかに「眼には眼を」の報復に他ならない。法務大臣が机上で判を押すと、それで死刑執行は確定する。彼は何の痛みも感ぜずに役所で行なっている普通業務のように判を押して終わりである。そしてわれわれはそれを知ることはほとんど無い。刑務官は法務大臣の決定に従って刑を執行する。刑務官はわれわれの暗黙の了解の下で刑を国民に代わって代理執行していると言える。われわれは知らぬうちにこの黙契を結んでいると辺見さんは指摘する。政府は自主的に執行を発表することはない。こちらが開示を請求してはじめて明かされる事柄である。この異常性を彼は問い続けてきたといえる。
 この本の中で、特に印象に残ったのは「剥(は)がれて」という文である。これは叫びにも似て、これでもかこれでもかと、どんどん追い詰めていく。

「・・・痩せた影から剥がれ。萎れ。厭離して。気根から剥がれ。根茎から剥がれ。はがされ。合成され。深く奪われ。根まで失い。・・・」

この調子の文が延々と続く。心の奥底から発散される怒りの発露として、読む人間の心を捉えて離さない。いつのまにか彼の側に引き込まれている自分を発見するのである。ある死刑囚との対話も心にずしんと響く話でした。彼の本を一度手にとって読まれることをお勧めします。今までと違った日常が見えてくるはずです。
 記:2007/12/20