父が遺した星の歌


父(利博)は短歌が好きだった。自分の気持ちを五七五七七の中に詰めこんだ。歌の世界には縁のない自分でも、
   これらの歌を口ずさんでみると、その情景がよみがえってくる。
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月の石とて変哲もあらざれば
     思考如何にもなりてたのしき

ハレー彗星
ハレー彗星 (1986/4/11)
月面の試歩のあやふさ見しわれの
     庭木に水をやる跣足にて
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  人類がはじめて月面を歩いた姿をテレビで見たときはいたく感動
  したのを覚えている。
  父は跣足(はだしの意)で地球の感触を味わっている。

東京の今宵あるべき星空を
     プラネタリウムに入りて見惚るる
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  東京には確かに星空は無くなってしまったが、昔見た星空をプラ
  ネタリウムで懐かしむ。


火星にも海はなかりき夜を覚めて
     生命たしかに潮騒を聴く

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  火星探査機「バイキング」が火星の姿をとらえた。砂漠のような
  世界に比べて、何と地球のすばらしさよ! 
  生命(いのち)のありがたみを感じる。

ハレー彗星夢にやさしくかがやきて
     われの齢に遠ざかりゆく

 
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  1985年〜86年にかけてハレーフィーバーが世界中に巻き起こった。
  76年後に再びその勇姿を見せてくれることだろう。
  4月11日に地球に最接近したが、奇しくも私の誕生日でもあった。


金星食
金星食(1989/12/2)
街の灯に慣れし驕りを慎しみて
     金星食に身をさらしけり

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  三日月に金星が隠される姿はまだ眼に焼き付いて
  いる。これを見て天文に興味を持ちはじめた人が数
  多くいた。
米・ソ首脳のマルタ会談些事として
     金星食のはじまらむとす
三日月にしたたるごとく金星の
     かがやきいづる食の終わりて

寿限無寿限無わが長命の帳尻に鎮守の森は消えてしまいぬ


   父は病院のベッドの上で、母に筆記させながら最後まで歌を読み続けた。


我がひとり生くる支へに幾ばくのひとらの顕ちてのぞく面影

痩せ果てて病む我を訪ふ善意とておやめ下され申し訳なし

億光年星の宇宙にいくばくの病ひかかへて我いのち生く

妻の励まし我の余命を支えつつ金婚式を目睫に生く
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   目睫(もくしょう)は目前の意。


金婚の夢は名もなき古寺の前の茶店にみどり浴びたき

幼な児のごとく甘へて死にたしと泪かくして妻を目に追ふ

柿若葉日々の視界に日々ゆれて・・・・(絶句・聞きとれず)

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   大正五年五月五日生まれの父は、中学生くらいから75歳で逝去するまで歌が
   人生であった。平成三年五月六日、律儀にも誕生日の翌日に亡くなっている。
   父の歌をあらためて読み返してみて、自分の中に流れている父から受け継いだ
   ものを感じている。