地球の明かり
●25年くらい前にこの場所に引っ越してきた。結婚した当初は三軒茶屋の狭いマンション(アパートかな)に暮らしていた。渋谷にも近いため星は少ししか見えない。それでも近くの世田谷公園の木々に囲まれた芝生に寝転ぶと星を楽しむことができた。その後、埼玉の丘陵地帯を住宅地にした場所に引っ越した。ここは東京に比べると断然空が違う。最寄駅から小高い山(標高135m)を越えた先にあった。天の川が見える日も多かった。しかし10年、20年と経つうちに住宅も増えさらに周辺でも開発が進んだため、街灯の数も当然ながら増え続けた。暗い空はしだいに失われていった。それでもまだ年に数日天の川が見える日があるというのは幸せなことかもしれない。 |
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Astronomy Picture of the DAY (2000 November 27) NASA |
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地球を飛び出して振り返ると、夜の地球に多くの明かりが見える。もちろん衛星写真での話ではあるが。その写真をよく見るとさすがに大都市周辺は明るく見える。日本はと思って探してみると、すぐに分かった。右側に煌々と光っている。おなじみの日本列島が明るくはっきりと光って地図帳と同じ形をしている。宇宙飛行士はこの光景を見て地球に愛おしさを感じたに違いない。遥か地球を離れていてもあそこには家族がいる、そんな証をこの明かりが告げているから。しかし翻って地上でのことを考えるとどうなのだろう。確かに外から見る地球はきれいだと一瞬思ったが、これは悲しむべきことだとすぐに思い直した。これだけ明るいということは星空が見えないということにつながるからだ。日本で黒く見える部分はほんのわずかしかない。飛行機乗客や宇宙飛行士くらいしか見ることもない無駄なエネルギーを空に向かって放出している。それだけならばまだ許せるが、この明かりが星空の見えない世界を作り出しているというのが問題だ。織姫と彦星の間に天の川がある姿をどれだけの土地で見ることができるのだろうか?一等星である二つの明るい星は見えるだろう。しかし淡い星でできた川は見えないに違いない。 詩人の茨木のり子さんが戦争中にただひとつ楽しかったことは星空を眺めることだったと語っている。灯火管制が敷かれた戦時中は皮肉にも真っ暗な空。茨木さんは二十歳で終戦を迎える。みじめな世の中でただひとつの慰めが星座早見を片手に星を見上げることだったという。 夏の星に 茨木のり子 まばゆいばかり 豪華にばらまかれ ふるほどに 星々 あれは蠍座の赤く怒る首星アンタレス 永久にそれを追わねばならない射手座の弓 印度人という名の星はどれだろう 天の川を悠々と飛ぶ白鳥 しっぽにデネブを光らせて 頸の長い大きなスワンよ! アンドロメダはまだいましめを解かれぬままだし 冠座はかぶりてのないままに 誰かをじっと待っている 屑の星 粒の星 名のない星々 うつくしい者たちよ わたくしが地上の宝石を欲しがらないのは すでに あなた達を視てしまったからなのだ。 1972年のジャコビニ流星群騒ぎがあったとき、街の明かりを消して流れ星を見ようという運動があった。東京タワーの照明が消え多くのビルが明かりを消した。少しだけ暗くなった空が実現した。流れ星は流れなかったが星が少しだけ増えた。こんな日が年に何回かあってもいいのではないだろうか。日ごろの疲れを忘れて星を見る、きっと殺伐とした世の中も少しは変わっていくのではないだろうか。 星を見た経験がなければ星への興味もわかないだろう。そんな危機感から国立天文台が1995年に「スターウィーク〜星空に親しむ週間〜」を制定した。毎年8月の1日から7日までの1週間をスターウィークとして星に親しんでもらおうという企画だ。このときには各地の天文台や児童館、科学館や一般の天文団体などがいろいろなイベントを企画している。星を見るきっかけを作れればという願いが込められている。この1週間だけでも街明かりが無くなればどんなにきれいな星空が実現するだろうと思う。 |
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記:2006/7/20 |