小笠原旧景



一昔前の父島の風景を紹介しよう。ここに掲載した写真は今から29年前に父島を訪問したときのものだ。船内での宿泊ツアーで夜には船に戻らなくてはならなかったため、残念ながら星空の写真は撮っていない。太平洋戦争の敗戦によって米軍の占領下に置かれた小笠原は、返還されたのが1968年のことだ。そのため父島を訪れたのは返還後8年経っていることになる。当時の人口は約1500人と記録されている。約30年経っても変わっていない場所も多いと思うが、変化している場所もあることだろう。二見港あたりの変貌。長い歳月の間に朽ちて今では海の上に見える姿はほんの一部という座礁船(現在の姿はこちらフリーショップまるひのページより)。岩も波による侵食で変化しているだろうが、人工物の変化の方が比べものにならないくらい速いようだ。
 連絡線「父島丸」は今はない。TSL(テクノスーパーライナー)が頓挫してしまった今、「おがさわら丸」「共勝丸」、それに時折運行される豪華客船「にっぽん丸」などが父島への足となっている。
おがさわら丸で東京ー父島間は25時間30分かかる。東京から1000キロ南にある島のため、海が時化ているときはそれ以上の時間がかかるし、大荒れの場合には当然欠航となる。そんな不便なところであるから、自然が残っているとも言えるのだろう。南北8キロ、東西5キロの父島では「ホエールウォッチング」「ドルフィンスイム」「ジャングルトレッキング」「スキューバダイビング」「シーカヤック」「サーフィン」「釣り」「バードウォッチング」など、いろいろ楽しめることが多い。もちろん「スターウォッチング」も。「東洋のガラパゴス」と言われる小笠原の生物は独自の進化を遂げ、自生する樹木の約70%が固有種とされている。こんな自然豊かなところはいつまでも残しておきたいものだ。
父島にはユニークな道路標識がある。「ヤドカリ注意!」「野山羊注意!」。ヤドカリはオオヤドカリのことで道を歩いていると良く出会う。ヤギは元々父島には生息していなかったが、先住民が持ち込んで野生化したものだ。小笠原では他の地域からの動植物の持込を嫌っている。というのも新しい種族による在来種の絶滅を防ぐためだ。
今でこそデジカメがあってネットに配信することは容易であるが、当時はフィルム全盛時代のため、ここに掲載した写真は当時のプリント写真をスキャナーで取り込んだものだ。そのため、解像、色あせ、その他不満足な点はあるが、その点はご勘弁願いたい。

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二見港

三日月山展望台より

釣浜

いしかり

父島丸

聖ジョージ教会

日没

山羊

座礁船「濱江丸」
【撮影データ】
1976年12月30日〜1977年1月3日
ニコマートFTn
f=18mm(F4)、f=50mm(F2)、f=500mm(F8)
フジカラーFU400、コニパンSS
2006/1/20 記

小笠原村
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