月夜の詩人



吉川行雄は明治40年(1907年)、山梨県の猿橋に生まれた。14歳のとき、ポリオ(急性灰白髄炎)が原因で歩けなくなる。それ以後、30歳の若さで亡くなるまで、自宅の六畳間で過ごすようになり童謡を書き綴った。月を題材にしたものが多かったために「月夜の詩人」と呼ばれるようになった。去年(2007年)、生誕100周年を迎えたのを機会に矢崎節夫さんが一冊の本にまとめた。行雄の日記や手紙、それに仲間からの手紙などをまとめ、全童謡を掲載している。矢崎さんは、金子みすゞを世に知らしめた人でもある。吉川行雄はみすゞと同時代に生きた。吉川行雄は、西条八十や北原白秋、野口雨情らの「赤い鳥」、「金の船」、「金の星」、「童話」などの雑誌に投稿して、その才能を認められるようになる。自宅では父親が印刷会社をしていたため、自ら「バン」などの雑誌を主宰し、童謡仲間達の作品を発表していった。
 行雄は座りきりの部屋から眺めることができる庭の季節の移り変わりや月などを題材にして、透明感のある、あるいは茶目っ気のある詩を書いていった。一生こどもの眼であり続けたかった。決して自分の病気からくる憂鬱感を表に出すことはなかった。死の直前まで雑誌の編集をし、自作の詩を書き続けた。「人は子どもであることを捨てて大人になるのではない。そんな、「童心」をいつくしむ思いが詩文ににじむ」と矢崎さんは言う。仲間の周郷博さんから「詩を書くのはなぜだろう」と問われたとき、「なぜって、・・・、それは愛だと思う。」と答えている。矢崎さんは「行雄は人間の一生は自分一人では成り立たない。家族を含めた、すべての存在があって初めて成り立つ、ということを深く知っていたのだと思う。」と語っている。
吉川行雄の作品の中で、特に気に入っているものをいくつか紹介しよう(旧仮名遣いのまま掲載)。





笹の葉鳴り


雀 古巣で
夢を見た

ホロホロ よい夢
宵に見た

雀 見た 見た
夢に見た

月のよい星
茅の屋根

かぐや姫さを
夢に見た

かぐや姫さの
あのよい夢は

笹の葉鳴りに
そとさめた。 


タンポポ

タンポポ フフ毛
コソバイ
フフ毛。

タンポポ フフ毛
ソヨ風
カルイ。

タンポポ フフ毛
野川 ヲ
コヘテ、

タンポポ フフ毛
牛舎 ニ
ツイタ。

タンポポ フフ毛
牛 ガ モウモ、
啼いた。


月のランプに 

月のランプに
うっすらと、
雲のカーテン
ひかれます。

いちごばたけの
いちごには、
霧のミルクを
そえましよか。

そして夜ふけの
お客さま、
小さい足音、
風の影。

月のランプは
さみしいな、
雲にしぐれも
はしります。



  
 

七つ星さま
 

七つ星さま
長柄杓
かわりばんこで
水くんだ
水は みづうみ
山のかげ あの山のかげ

七つ星さま
長柄杓
水涸れ天の川へ
水ために
七つ星さま
ヒーカリコ。
 
月の夜の木の芽だち

あをい月夜の
木の芽だち、

ちさいかはいゝ
貝に似て、

かうと光って
ねてゐます。

   (猫がおひげをこほらして、
    ととやのかげに消える夜、)

なにか匂いを
けぶらして、
白うふるへる
木の芽だち。


うすい月夜


うすいおぼろに、
いぶされて、
月は魚になりまする。

ほそい木にゐる、
丹頂も、
とろり、とぼけて飛びまする。

風とふくれて、
ふはりと来て、
とろり、お羽が消えまする。

うすい月夜の
れんげうは、
白い羽虫になりまする。

 「月夜の詩人 吉川行雄」(矢崎節夫著、株式会社てらいんく発行)より
 記:2008年4月27日