野外活動を楽しんでいたころ
● 1989年(昭和64年)、堂平山の近くの標高700mくらいの勝負平に観測所を作った。会社から譲り受けた天体ドームをそこに据え付けて観測を開始したのだ。堂平は頂上に東京天文台(現在は国立天文台)の観測施設がある。口径92cmの反射望遠鏡などが設置されていた。その場所で「堂平宇宙ステーション」という天文同好会を結成して毎月天体観測会を開くことにした。星好きな人たちが大勢集まってくれた。会社の同僚、近くの友人、そしてその友達と輪が広がっていった。毎月東京方面から来てくれる人もいた。僕は野外活動が好きだったので、この山の中腹にある共育舎という宿泊施設や越生の「朝日のあたる家」などを借りてみんなで食事を作ったりしながら、夜になると星空を堪能した。湯の丸高原にテントを担いでキャンプに行ったこともある。観測会は家族そろっての参加者が多く、いろいろな人たちとの交流が楽しかった。子供達はすぐにお互いに友達となり大人が考えもしない遊びを考え出す名人だ。大人はといえば、酒が入ってやっと世の中のしがらみを抜けて自由になりお互いに溶け合うようになる。何と不自由な大人たちよ。そういうわけで、観測を終え宿舎に戻ってからはお酒を酌み交わしながら朝近くまでよく談笑したものだ。辰野基康さんのシタール星空コンサートなども開催した。オカリナが山にこだましたときもあった。日時計や竹とんぼ作り、炭焼き、野焼きなどを一緒に楽しんだ。宿舎には多いときには2〜30人も集まるため、食料の調達やら献立、料理など家内が大変だったが頑張ってくれた。時には山菜をみんなで摘んできて天ぷらや御浸しにして舌鼓を打った。こんな活動が注目されて雑誌や新聞社が取材に来たこともあった。NHKの朝のニュースで光害を報道するということで、観測所のある場所から池袋のサンシャインビルを映しに来たときには、3日間彼らに付き合った。何百万もする高感度カメラを持参しての撮影だった。それも雪が10cmくらい積もっているとき。それでも放送はたった1分くらいの短さ。 あれやこれやであわただしく9年があっという間に過ぎたが、加齢による体力の衰えには勝てず、会をやむなく解散した。ドームはその後雨漏りもひどくなったため、処分した。しかし今でも当時の仲間から「またやりたいね」という電話がかかってきたりする。心に何か残っているものがあったんだと、うれしくなってくる。本当にみんなと出会えて良かった。 |
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私設天文台開所式のときのスナップ(1989年3月21日)) |
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「主婦と生活1992年7月号」に掲載された記事(クリックすると大きな画像を表示します) |
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記:2006/7/1 |