●六本木の国立新美術館で「横山大観」展を見てきました。朝一番にもかかわらず、中高年の人たちであふれていました。大観の作品を、これほど集めた展示会は初めてではなかろうか。
作品の中で全長40mにも及ぶ大作「生々流転」は圧巻です。筆のタッチといい、大観の思想がよく現れている作品で、この前では長い列が横つなぎになり、遅々として前に進まず全部を見るために多くの時間を費やしました。それでもそれだけの価値のある作品でした。
「生々流転」は大気中の水蒸気からできた1粒の水滴が川をなし海へ注ぎ、やがて龍となり天へ昇るという水の一生を、40メートルにも及ぶ大変長い画面に水墨で描いた作品です。
横山大観は岡倉天心のもとで、菱田春草、下村観山らとともに近代日本画の革新を目指し、東洋の精神を基盤に西洋画の手法を取り込みながら、新しい表現様式を追求しました。輪郭線を使わず、色彩の面的な広がりにより空気を描こうとした朦朧体(もうろうたい)の技法などはその代表的な例と言えるでしょう。当時、日本ではこの表現法は評判がよくありませんでしたが、海外では好評を博しました。
「生々流転」は大観55歳の作で、長大な画面にもかかわらず、どこにも破綻のない完璧な構成によって組み立てられた密度の高い作品です。
「生々流転」とは「万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず移り変わってゆくこと」という意味の言葉です。大観の「生々流転」にも、繰り返し姿を変えながら終わることのない水の生涯が描かれています。彼の壮大な自然観や人生観をも読み取れるダイナミックな作品ですが、一方で画面のところどころに鹿や猿などの生きもの、川に舟を浮かべる人などの小さなモチーフが描きこまれ、ささやかな生命に対する温かい眼差しも伺うことができます。