入院中の読書


今日、無事退院してきました。抗がん剤点滴は3月30日(月)から始まり、連続5日間、毎日1時間づつ行われました。最初の日は、心電図検査が4回、採血が6回、採尿が行われたのが忙しかったのですが、薬による副作用は何もありませんでした。2日目は採血が1回だけでしたので、楽な一日でした。ただ副作用として吐き気がやや出てきました。3日目、4日目は2日目と同様でしたが胸のむかつきがやや減少して落ち着いてきました。5日目は最初の日と同様に心電図などの検査で1日費やされました。こんな状況でしたが抗がん剤投与は無事に終わり、後は週に一度の採尿と採血ぐらいの検査でした。白血球が減少(WBC値:4/6(4.06) 4/13(3.30) 4/17(1.63)。好中球数:4/6(2562) 4/13(1752) 4/17(430))し、血圧が少し下がったり(低60〜高102:通常は70〜120)したものの、小水の出や腰と臀部の痛みもしだいに改善され、遠くに満開の桜を望みながらの病院生活でした。気分も上々でした。今回の抗がん剤治療は治験薬でしたので、治療代は製薬会社の負担になり患者には一切かかりません。その上、病室も個室でしたのでのんびりと治療を受けることができました。しかし、これをよくよく考えてみると、これらの費用は認可され発売になったときに、薬代として跳ね返ってくるということです。そう考えると喜んでばかりいられない気がしますね。

病院のエントランスホール   入院中、佐藤GWAN博さんからプレゼントされた発売になったばかりのCDを寝ながら聴く事ができました。GWANさんの曲を聴いていると体もこころものんびりとしてきて、病院にいることなど忘れてしまいそうです。GWANさんありがとう。
また、息子の渉が、5月に開催する「かぐや」での親子二人展の準備をいろいろと進めてくれたので助かりました。案内状を近くの山猫軒や丸木美術館などに置いてもらうように話に行ってくれたり、広報メディアに働きかけをしてくれたりと、手をつくしてくれました。

 読書の合間には志ん朝の落語をMP-3プレーヤーで聴いいていましたが、一人で笑ったりしている姿は、傍から見ると奇異に写ったことでしょうね。それにしても志ん朝はうまい。彼の落語を聴いてしまうと、他の落語家のが聴けなくなってしまいます。それだけ飛びぬけた天才なんだと思います。話のネタ、テンポ、語り口など、どれをとってもすばらしいの一語に尽きます。 

 11日、テレビドラマ「ぼくの妹」の収録が病院内のエントランス空間を利用して行われていました。入院中の病人もしばし病気のことも忘れて見とれていました。看護師、医者、見舞いの人など多くの人の姿も見えます。この病院は以前にもバチスタでも登場したりと、まだ新しく綺麗な病院なので時々利用されるようですね。 

 3月28日 入院
 3月30日 抗がん剤投与開始
 4月3日  抗がん剤投与終了
 4月19日 退院

 4月20日 抗がん剤第2回目投与開始予定
        (1日遅れで21日から通院開始)
 
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 *服用した痛み止め薬
  (腰と臀部の痛みに対して):
  オキシコンチン20mg (8時、20時)
  オキノーム5mg  (痛みを感じたとき適宜。
   1時間空けば 何回でも服用可)

入院中に読んだ本
3冊くらい同時に読み進めて、気分転換をはかっていました。読んだ本は以下の通りです。

植田草介 著「酔いどれ山頭火・何を求める風の中ゆく」(河出書房新社)

 種田山頭火(たねだ さんとうか:1882年〜1940年)は明治から昭和にかけて生きた山口県生まれの俳人として名が知られていますが、その生涯については何も知りませんでした。早稲田中退後、酒におぼれた放浪禅僧としての人生を送りました。酒を飲み出すとぼろぼろになるまで飲んでしまい、翌朝、酒から醒めて反省するという日々を送っていたようです。しかし一生の師と仰ぐ荻原井泉水の自由率俳句(有季定型俳句に対する)に魅せられた山頭火は多くの優れた俳句を残しています。山頭火の俳句の一番の特徴はそのわかりやすさで、すーっと心の中に入ってくるということでしょう。山頭火は自分の感じたこと思ったことを素直に表現したということで、心が澄んでいたということかもしれません。実生活においてはだらしなく、俳人仲間を頼っては泊まり歩いたり、お金を借りたりを繰り返す暮らしぶりでした。そんな彼ではありましたが、仲間が捨てなかったのは、彼の持つ心の清澄さ、素直さ、えらぶったりしない性格などが引き付けたのかもしれません。本を読んでいる最中、山頭火とは何てだらしのないしょうもない人だなと思うと同時に山頭火の俳句を読むと、この人は俳句を作るために生まれてきたんだなと思わざるをえませんでした。山頭火の歌をいくつか載せておきましょう。

  この道しかない春の雪ふる
  分け入っても分け入っても青い山
  炎天をいただいて乞ひ歩く
  冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ
  物乞ふとシクラメンのうつくしいこと
  月も林をさまよふてゐた
  酔ふてこほろぎと寝てゐたよ
  ほろほろ酔うて木の葉ふる

病室から見るドクターヘリ
宮部みゆき 著「英雄の書(上下)」(毎日新聞社)
 まじめな本の合間に読むのには最適の本です。といって程度が低いとかいうのではありません。前作「ブレイブ・ストーリー」の思索を一歩進めた新しいファンタジーの世界だと思います。人の心の動きや描写が的確でぐんぐんと読者を物語の世界に引っ張っていく力を持っています。そのためついついのめりこみ過ぎてしまいます。そのあとで、どっと疲れがきたりしました。体を休めるというのが目的のはずが、ちょっと油断をしてしまいますね。

松岡正剛 著「白川 静・漢字の世界観」(平凡社新書)
 1910年(明治43年)に福井県で生まれた白川静(しらかわ しずか)さんは、2006年10月、96歳のご高齢でその生涯を閉じました。白川さんは、文字の説明をするだけではなく、文字が持つところの背景、文字が成立したところの民族の基礎的な体験が如何なるものであるかを研究した学者です。甲骨文、金文などの研究を通して文字の字源、意味を解明したこと、あるいは「字統」「字訓」「字通」という字書三部作を作られた方として知られています。しかし、白川さんの研究された範囲や体系は莫大なもので、一般の人が白川学を見通すことは不可能でしょう。そこで松岡正剛(まつおか せいごう)さんが、その取っ掛かりを新書版にまとめてくれました。この著作を通して白川さんは、こういう方で、こういう研究をなさった方だということをはじめて知ったわけです。

滝田ゆう 著「寺島町奇譚(上下)」(筑摩書房)窓辺に良く来るセグロセキレイ
 Mさんが見舞いのときに持ってきてくれた滝田ゆうの漫画集です。読書の合間に読むのにはちょうどいい本でした。戦時中に流行った歌謡曲などを織り交ぜて裏通りに暮らす人たちの心情や風景をよく表しています。町の横丁などを俯瞰している絵からはその場の空気を感じますね。赤瀬川原平さんが解説していますが、カメラおたくとして知られている赤瀬川さんをしてうならせる町並みの細かな描写力には驚きます。滝田さんは、描くために写真を見たりするわけではなくて、すべて記憶に残ったものを表現しているということで、その記憶力には脱帽です。

「ブルータス 4月15日号」(マガジンハウス)
 仏像特集。阿修羅展が東京国立博物館で開催(3月31日〜6月7日)されているのに合わせて企画されたものです。現代の若者向きに構成されただけあって、言葉使いも今風。「外タレ来日」と鑑真のことに触れていたり、「あの世、ラブ」でフルムーン藤原道長の阿弥陀如来へのこだわりを描写したりしています。また32体の仏像写真をカードにして、持って歩けるように付録につけたりと至れりつくせりのサービスです。

鈴木孝庸・楊夫高 著「平家物語と不思議」
(新大人文選書:高志書院)
 この本の中に、ぼくが写した「金星とすばるの接近」写真が載っています。実は去年でしたか、ぼくのホームページをご覧になって、ぜひ写真を使わせてほしいというメールを頂きました。ぼくはすくに承諾のメールを差し上げました。そして今回入院している最中に数冊梱包された本を妻が病院に届けてくれました。うれしかったですね。ぼくの写真はこれといったものではなかったのですが、ご丁寧に本をお送りいただくとは思ってもいませんでした。もちろんさっそく読ませてもらいました。恥ずかしながら平家物語は書き出しの部分を学校の古典の授業で読んだきりでしたので、全体の構成などはまったく知りませんでした。この本を通して概略をつかむことができたのが何よりもうれしかったですね。その上、平家物語で取り上げられている天文現象と物語の関わりなどおもしろい事もわかり大変勉強になりました。ぼくの写真は本の中では「太白昴星犯合(たいはくぼうせいはんごう)」で登場します。
太白は金星、昴星はすばるのことを指しています。犯合はお互いに接近することを意味しています。
二階屋上の広場
リチャード・フォーティ 著「地球46億年 全史」(草思社)
 世界各地に地層が露になっている場所は多くあります。そこを見て歩きながら先人が考えた地層の成り立ちを解きほぐしていきます。すでに葬り去られた理論も話を聴いている限りもっともだと思われます。しかしその説では説明し得ない事柄が出てきたとき、また新たな考えが提起されます。歴史的な思考の跡を辿ることによって、現在支持されているプレートテクトニクス理論の正当性を詳らかにしていきます。このくり返しを通して知らず知らずのうちにプレートテクトニクスの何たるかを理解させるという趣向です。地質学の現場の楽しさを知り尽くしている古生物学者リチャード・フォーティならではの作品と言えるでしょう。リチャード・フォーティは「生命40億年 全史」の著者としても知られています。【コーヒーブレイク「生命の歴史」
 2003/07/12

フレッド・ワトソン 著「望遠鏡400年物語」(地人書館)
 よく調べられた望遠鏡の歴史を読んでいると、早く退院して自宅の望遠鏡を覗きたくなってきます。ガリレオが望遠鏡を星空に向けてから400年が経過したということで今年を世界天文年としたわけですが、空に望遠鏡をはじめて向けたのはガリレオではなく、1608年にシャムの大使による記録が残っているということをこの本で知りました。とは言え、科学の眼で天体を見たのはガリレオがはじめてであり、「星界の報告」という観測記録の形で残していることを考えれば、ガリレオの偉大さは少しも失われていないと言えるでしょう。ニュートンに対しても同じことが言えます。反射望遠鏡をはじめて考えたのがニュートンではないとしても、当時は金属鏡であったため、銅と錫や砒素(反射率を上げるためのようです)の合金比率を自分で試して作ったことや、ピッチを使っての磨き方を考案して鏡の研磨精度(レンズの磨き精度よりも6倍必要)を上げて、実用的な望遠鏡をはじめて作り上げたことを考えると、ニュートンの偉大さをあらためて感じます。

さいとう・たかを 著「ゴルゴ13」(リイド社)
 言わずと知れたシリーズものですが、考えさせられることも多々あったりして面白いですね。病院内のコンビニで売っているのを立ち読みしているうちについつい買ってしまいました。

病室507 

  記:2009/4/19